● 土曜の夜、君と帰る 1 --- 無駄な抵抗はやめろ ●

 穏やかで優しそうな顔してるくせに結構Sなんだよね、柳くんて。
 柳くんてのは、柳蓮二くんのこと。
 彼とはたまたま一年の時からずっと同じクラス。
 というか、まあ仲がいい方。
 けど、何を考えてるのかよくわかんない男の子。
 そして、絶対Sだなって私は思ってる。

 初めて口をきいたのは当然一年の頃。
 私は中学に上がるのと同時に千葉から引っ越してきたものだから、中学生活が始まった当初なんとなくクラスになじみにくかった。そんな中、柳くんは割と目を引く男の子だった。
 三年になった今では、背も高くて男らしくてテニス部の有名選手で女の子にも人気の彼だけど、一年の頃はおかっぱみたいな髪をしてて女の子みたいだったんだよね。
 そして、柳くんも小学校の高学年までは東京に住んでたらしいってことで、私は同じよそ者組として勝手に親近感を持ってたものだ。
 中学に上がった最初の頃、私は地元の子ばかりのクラスになかなかなじめなかっただけじゃなくて、なんだか男子に圧倒されてた。
 なんていうか、私が住んでたとこの男子のノリと違うの。
 私は千葉の南の方のちょっとのんびりしたとこに住んでたからか、周りの男の子たちはみんな悪ガキだったけどそれでも皆子供っぽかった。けど、立海の男子たちって、妙に大人っぽくてうるさくて、エッチな話ばっかりしててちょっと恐いわけ。ま、当時の私にはってことだけど。
 一年の時の、まだあんまり友達もいなくってちょっとびくびくしてた私を、ある時当時のクラスの男子がバンバンと背中をたたいてきた。
 それで、
、ブラジャーしてねーのかよー! だせー!」
 なんて笑いながら言うの。
 私はびっくりしちゃって、こわばってしまう。
 で、その子は。
「なんだよ、お前、セックスって知ってるー?」
 なんて、更にはやしたててくる。
 今思えば、ホントにガキでバカだなってだけのことなんだけど、一年の時の私はまったくどうしたらいいかわかんなくて、顔を真っ赤にして何も言えなくて泣きそうになってた。
 そんな私が面白かったのか、男の子たちはヤイヤイからかってきて、いよいよ私が泣き出してしまいそうになった時。

「神奈川の男子はガキで田舎くさいと思われるから、それくらいにしておけ」

 読んでいる本から顔も上げずにそう言ったのは、その時隣の席だった柳くん。
 私はかろうじて涙を我慢しながら彼を見た。
 女の子みたいなのに、きりりとしててぜんぜん動じてない。
 大声を出したわけでもないのに、なぜだかその場で騒いでた男子たちは静かになって、気まずそうに互いに顔を見合わせてた。
「なんだよ、柳、ノリわりーなー」
 クラス委員だった彼は、やはり一目置かれてたのだろう。
 男子たちはちょこっと憎まれ口をたたいたりもしたけれど、それきり私をからかうことなく、別の話題に移っていった。
 柳くんってすごいなーって思いながら、私はじっと隣の彼を見てた。
 まあ、なんだ。女の子みたいだって思ってたけど、ちょっとかっこいい! 優しいし! なんてぐぐっときちゃったわけ。
「……あの、ありがと」
 私が、精一杯かわいい声を出してお礼を言ったら、彼はようやく本から顔を上げて、穏やかな細い眼をうっすらと開けた。きれいな目をしてるんだなって思ったっけ。
 そして、そのきれいな穏やかな顔でこう言ったんだった。

「中学生になったら、下着には気をつけた方がいいだろう。女子なのだから」

 さっくりと諭すように言う彼の言葉は、さっきの男子たちの言葉よりも私には衝撃的で、我慢していた涙が一気に溢れてしまった。
 口をぽかんと開けて彼を見ていた私の目からは涙が溢れ出し、思わず机につっぷした。
 だって!
 そりゃそうかもしれないけど!
 男の子が言うことじゃないじゃん! 女子のブラジャー事情なんて! 中学生になってブラジャーしてないのがどうしてかなんて、推して知るべしでしょ!
 しかも、すっごい素ぅで注意してきた!
 からかわれるよりショック!
 ついに泣き出しちゃった私だけど、ふと柔らかないい香りに気付いて顔を上げた。
 そこには、ちょっとおろおろとした柳くんが立ってた。
「すまない。泣くな」
 そう言うと、白い紙を差し出してくる。
 ティッシュかなと思ったけど、違う。
 ああ、お茶の時に使う懐紙だ。
 男の子のくせに変わったもの持ってるなーって思いながら、それを受け取って涙を拭いた。ちょっとがさがさしてる。なんかもう、優しいんだかひどいんだか、さっぱりわからない子だ、柳くんって。そんなことを思いながら、ぐしぐし泣いてたら、懐紙の次に、手のひらに乗るくらいの小さな巾着袋みたいなものを私に差し出した。
「これをやるから、気持ちを落ち着かせて泣きやめ」
 そして、それを私の鼻先に掲げるのだ。
 その、梅の花の模様の小さな袋はお香のようなやわらかなすごくいい香りがした。
「京都土産の匂い袋だ」
 涙を浮かべたまま、私がぽかんとそれを手にしてると、彼はまた自分の席に戻って本を読み始めるのだ。
 くんくんとその匂いをかいでると、私はちょっと気持ちが落ち着いてきて涙が止まった。
 まあ、そんな感じの出会いだったんだ。柳くんとは。
 ちなみにその事件の日、家に帰ってから即刻お母さんとブラジャーを買いに行ったのは言うまでもないけれど。



 そんな出会いだったものだから、私は『もう絶対に柳くんとは口をきかない』って思ってたけど、なぜだか彼には助けてもらうことが多くなる。
 授業で当てられた問題がどうしてもわからなくて途方に暮れてたら、黙ってさりげなく教えてくれるとか、席がえですぐにエッチな事言って騒ぐ苦手な男子が隣になったら、代わってくれたとかね。
 なんていうか、そんな感じで三年まで同じクラスで来てしまった。
 匂い袋をもらったあの時から、私は柳くんに苦い印象をも持ちつつも、同時に『頼りになる男の子』ってのがインプットされてしまったんだよね。
 などと過去を思い出しながら教室で居残りの宿題をやってる今は、三年の冬。
 もう進学(っていっても内部進学で気楽なものだけど)も決まって、部活やってた人も引退してヨユーな時期だっていうのにダサいでしょ。
 でも、私数学ほんと苦手だし嫌いなんだよ。いやなものは後回し派だから、こうして居残ってるの。
 ふうう〜とため息をついてると、教室の扉が開く音。
 ま、この時期、誰なりと出入りするよね、とちらりと首を動かすと柳くんだった。柳くんは、教室で本を読んで行ったりすることもあるから別段驚きもしない。彼は教卓の下から日誌を取り出した。ああ、日直だったっけ、彼。
「ああ 、今日の課題か?」
 静かな声が、二人だけの教室に響き渡る。
「うん、そう。苦手なんだよね」
 私が言うと、彼はふふ、と笑って日誌を手にしたまま私のノートを覗き込んだ。そしてまたふふっと笑う。
「その分だと、相当時間がかかりそうだな」
 そう言うと、彼は自分の席で日直の日誌を記載し始めた。
 ね。
 ここで、それなりに仲のいい相手だったら、そこは違うぞ、とか教えてくれてもいいと思わない?
 今の「ふふ」は、「あー、それはまったく見当違いの解だな、こりゃだめだ」の「ふふ」なんだよ、絶対。
 お願い教えて、って言えば教えてくれるかもしれないけど、やっぱりしゃくだもの、そんなの。
 私は柳くんなんかいないんだってつもりで、一人机に向かって参考書を片手に課題に取り組み続けた。
 どうもいままでやってた方向では違うみたいだから、最初からやりなおして違う公式でやってみる。
 は〜〜〜、もう終る気がしない。
 一方、さらさらと日誌を書き進んだらしい柳くんはがたんと席を立った。
「じゃあ、俺は日誌も書き終えたし、これで失礼する。 も、下校時刻に遅れぬよう帰れよ。じゃあな」
 そう言って立ち上がるのだ。
 えっ、マジ帰っちゃうの?
 私は若干の動揺を押し隠せずも、かろうじて、
「あ、日直おつかれ。気をつけてね」
 なんて言って手を振る。
 柳くんはバッグを抱えて日誌を手に、教室の前の出入り口のとこまで行くと一度振り返った。『ところで、その課題、一人で解けるのか?』とでも言ってくれないかな、と一瞬期待するけれど、彼はそこで軽く手を振るだけで教室を出て行った。
 私も大きく手を振って彼を見送るけれど、その後はがくーっと力が抜けて机につっぷしてしまった。
 さっき柳くんがちらりと見て失笑していった私の解。
 じゃあ、他にどうやったらいいのかって考えてみて、参考書も見るけど、not数学脳の私にはもうさっぱりわかんないんだよね。
 それくらい私が途方に暮れてるって、多分あの時柳くんにはわかってたと思う。だったらさー。ちょっと助けてくれてもいいと思わない?
 そりゃね、私たち一年の頃から同じクラスで割と仲も良くて。でも、つき合ってるわけじゃないよ。
 つきあってるわけじゃないんだ。
 だってさ。
 柳くんて何考えてるんだかわかんないもん。
 いいなって思うけど、私が好きになって良い人なのか、わかんない。
 まじめで親切でちょっとかっこよくて、それでも比較的私に親切にしてくれる男の子って程度にしとく方がいいんだろうなって思うもん。わけわかんなすぎて。
 だから、なるべく他の男の子を好きになって仲良くしようと日々思ってきたんだけど、なんだか上手くいかないんだなあ。匂い袋の時の事件の柳くんの衝撃が強すぎるのか。
 そんなことまでも思い出してたら、どうしてか泣けて来て、鞄の取手にぶらさげてあるあの匂い袋を鼻の近くに寄せてみた。
 もう、匂いはかすかにしか残ってないけど、あの時の気持ちが蘇る。
 かすかにとはいえ、匂いはこうして残ってるんだけど、柳くんはこういう時にさらっと帰っちゃうような子なんだよね。
 助けてくれたっていいじゃん。
 鞄を手元によせてふがふがやっているというまったく奇妙な姿でいるところ、教室の扉がまたがらりと開いた。
 今度ばかりは私も少々無防備だったから、驚いてしまう。ちょっと泣いてたし。
 そして登場したのは、またもや柳くんだった。
「……」
 何も言えずにぽかんとしている私の方に、彼は迷わず歩み寄って来た。
 手に日誌はないから、職員室に提出ずみなのだろう。
「どうした。泣くほどに課題がわからないのなら、早くそう言えばいいだろう。この問題か? ここはこれじゃなく、こっちの公式を使うのだと授業でも言っていたのを聞いていなかったのか?」
 柳くんはするりと私の隣の席に腰を下ろし、鞄を置いてマフラーを外すと、当該の公式のページを開いて私の前に示した。
 私はあわてて、その公式を見て問題を展開する。
「……ああ、先生がこんな風に言ってたような、気はする」
 なんてふがふが言いながら。
 問題を展開しながら、これでいいの? なんて気持ちでちらちら柳くんの表情を伺うけど、彼の細い目からはなかなか感情が読み取れない。
 ようやく解までたどりついて、これでどう? と見せると彼は小さく頷くだけでたいした感動も見せず。まあ彼にしたら当たり前か。私としては途方にくれていた難題をやっつけることができてガッツポーズで天井をつきやぶりたいくらいのものだけど。
「うむ? これは?」
 隣の席までにひろげた私のノートや参考書に混じってる雑誌に、彼は目を留めた。
「ああ、この時期だからね。バレンタイン特集なんだよ」
 昼休みに友達とぎゃーぎゃー言いながら見ていた雑誌だ。
「そういえば、去年はバレー部の大崎だかにあげていたな、 は」
 よく覚えてるな! 思わず顔がカッと熱くなる。
「いいじゃんよー、そんな事はー!」
 去年、ちょっといいなーと思ってた大崎くん、ほんとちょっといいなーって思ってただけなんだけどフラれ方がすごかった。私があげたチョコ、自転車のかごに返されてたんだよ! しかもそれを柳くんに目撃された! 最悪の思い出!
「今年も健闘するのか?」
 柳くんは、とても普段は手に取りそうもないその雑誌をめくってちょっといじわるに笑う。
「柳くんには関係ないじゃん」
「ま、そうだな。が、自転車のかごに返されるような相手だけはやめておけよ」
 思い出したのか、またクククと笑う。
「もうそれは言わないでよ!」
 思わず声を上げると、彼はすまない、というように笑いながら片手を上げた。
「まあ も、もう無駄な抵抗はやめろということだ」
「はあ? 無駄な抵抗? 私が恋をするのが無駄な抵抗だっていうの!?」
 むっかつくなあ! いくら自分がかっこよくて頭が良くてテニス部だからって! 私がもうひとつ冴えないからって!
 課題を教えてもらった感謝から、突然怒りに転じようとしていたその時。

「ああ、柳、まだ教室だったのか」

 やってきたのは、元テニス部部長の幸村くんだった。
 幸村くんは一時は病気で長く学校を休んでたんだけど、テニス部の全国大会の時には見事に復帰した選手。これまた成績優秀で男前でかっこいい子なんだ。
「もしかして彼女とデートの約束でもしてるとこだった? 邪魔しちゃったね」
「やだ、幸村くん、そんなんじゃないよー」
 私は即答。
「そう?  さんとはずっと同じクラスだし、そういう関係だと思ってた」
 幸村くんはさらりと笑顔で言うんだ。
「まっさかー。彼女にだったら、きっと柳くん、もっとやさしいって!」
 私が言うと、柳くんもくくっと笑った。
「ああ柳はね、ちょっと扱いづらいように見えるだろ?」
 すると幸村くんが、マフラーをゆるめながら微笑むのだ。
 テニス部を引退してからは、幸村くんはこういうやわらかい笑顔が増えたなあと、なんだかまぶしくて私はつい見入ってしまった。だって、ほんときれいな顔してるんだよね。
「でも、こいつ、結構単純なんだよ。かっこつけてるだけなんだ」
 そう言うと、幸村くんは柳くんに彼の鞄とマフラーを放った。
 単純だよ、なんて言われた柳くんは少々不本意そうに眉間にしわをよせて、私に『じゃあな』とだけ言って教室を後にした。
 へー。
 ふわりと笑った一言で、柳くんにあんな顔をさせる幸村くんってなんだかすごいな。
 私はちょっと感心して、それまできれいで優しげな男の子って思ってた幸村くんの印象が少し変わった。
 柳くんと幸村くんが去った後には、柳くんの匂い袋とも違う、かすかな花の甘い香りが残っていた。

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2009.2.14

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