●● 土曜の夜、君と帰る 5 --- わが軍門に下るがいい! ●●
柳は、きみが好き。
幸村くんの言葉を聞いてから、どうにもドキドキして上手く歩けないような感じだ。
柳くんが私を好き?
もちろん、嫌われてるとは思ってない。仲はいいし。
だけど、男の子が女の子を好きになるって。
なんかこう、ほら、他の男の子を気にしたらもっと焦っちゃうとかさ。
そんな風だと思わない?
けど、一年の頃から柳くんは、私が他のクラスの誰それがかっこいいとか、ちょっと好きとか話してもぜんぜん普通で、それどころかその子のことを教えてくれたりとか、そんなんだもの。
それに今回のことだって。
なんだか幸村くんが気になるかもしれないって思った。
そして、それを柳くんに伝えても、じゃあバレンタインに贈り物をしたらいいって言ったのは柳くんだもの。
普通、自分のことを好きな男の子がそんな風に言うとは思わないよね。
木曜に幸村くんからそんな話を聞いて、そして金曜日に学校に行って。
柳くんって私を好きなのかなあって思いながら彼を見ても、やっぱりまったくいつもと変わらない。
突然そんな風に言われても。
一年の頃からずっとこうしてきた私だもの。
どうしたらいいのかわからない。
そうやって家でうじうじと考え込んでる今日は、土曜日。
学校は休みで、そしてバレンタインデー。
毎年、柳くんは女の子からかなり沢山チョコレートもらってた方だと思う。
でも、私の知る限り彼女はいなかった。
だけど、ああいうきりりとした厳しい子だから、女の子に興味ないのかと思ってた。
柳くんが、私を好き?
ああ、落ち着かない。
だって。
もしも、そうだったら。
私、そうだったらいいなって、思ってた。
だって、幸村くんが言った通りだったから。
柳くんは、べたべたといつも私を構ってくれるといった方じゃないけど、いつも私が本当に困った時にはぜったいにそこにいて、そして私を助けてくれた。
クラスの男子に意地悪をされたり、勉強がわからなかったり、グループ分けで困ったりしたり。
そんな、学校でのちょっとしたことで私が困ってる時、いつもそこには柳くんがいた。
だから、私も普段は気にしてなくても、いざという時にはいつも柳くんを探してた。
どんな男の子を気にしてみても、いつも柳くんと比べてた。
結局、好きだったんだよね。
だけど、あまりに柳くんがそっけないものだから。
私の想像してた『女の子に恋をする男の子』とあまりにかけはなれているものだから。
柳くんは、去年チョコをあげてつっかえされた相手の子みたいに、明らかにダメもとの相手とは違うもの。
私なりにずっと大事に仲良くしてきた男の子で。
すっごく頼りにしてて、いつも助けてくれて。
もし、私の事だけを大事にして欲しいと告げて、さらりとかわされたりしたら、ちょっと立ち直れない。
そう思ってたから。
本当は、柳くんが私を好きだって言ってくれたらなあって、思ってた。
心の隅ではね。
だけど、そんなことは起こらないまま、初めて口をきいてから三年近く。
せっかく同じクラスで過ごしてきたけれど、そのクラスも三月でおしまい。
私も柳くんも、附属の高校に進学することは決まってるけど、高校になると成績が厳しくなるからもう同じクラスにはなれないかもしれない。
クラスが離れても、私を助けてくれるだろうか。
そういえば、神奈川に引っ越してきて中学に上がって、ずっと柳くんが側にいた。
柳くんがいない毎日は、ちょっと想像ができない。
高校に上がって、柳くんと違うクラスになったことを思うと、とたんに私は落ち着かなくなる。
私は充電器から携帯電話を手に取った。
柳くんの携帯の番号は知ってる。
けど、休日に連絡を取り合ったりするようなことは今までない。
アドレスから彼の番号を呼び出して、そしてボタンに親指をかける。
彼に電話をかけて、どうしようというのだろう。
だけど。
今日はバレンタインだもの。
中学で最後のバレンタイン。
幸村くんが言ってたことをそのままに信じるわけじゃないけれど、柳くんに会いたいような気がする。
どきどきしながら柳君の携帯の番号を呼び出したまま、通話ボタンを押した。
電話を耳に当てると、流れて来たのは呼び出し音じゃなくて、電源オフのメッセージ。
きっと呼び出し音が流れる間、どきどきするだろうと想像してたけど、これは予想外。
別の意味で私の心臓は大きく跳ね上がった。
どうしよう。
電話を手にしたまま呆然としてると、階下から、お母さんのお昼ご飯よと呼ぶ声。
あわてて階段を降りて食べたけれど、この時のチャーハンがどんな味だったかよくわからないまま。
ご飯を食べた後、私は上着を着て家を飛び出した。
柳くんって、休みの日にどうしてるだろう。
気づいたら私、そんなこともよく知らないまま。
私はまず学校へ向かった。
私服のままだというのに、学校に入ってテニスコートに向かった。
テニスコートでは熱心に練習をする二年生と一年生。
「あの……!」
私はテニスコートの側でラケットを持って歩いている下級生に声をかけた。
私服の私に声をかけられた彼は当然ちょっと驚いた顔。
「あの、今日って、三年生は練習に顔を出したりしてるかな?」
「は? いえ、今日は別にそういう予定はないですし、三年は誰も来てませんよ」
怪訝そうに答えてくれる彼にぺこりと頭を下げて、私は校庭を駆け出した。
ええと、あとは、柳くんテニスクラブに通ってたはず。
場所は、たしか……。
記憶に残ってた地名をたよりに、バスに乗った。
降りたバス停がまずかったか、結構歩いてたどりついたテニスクラブは、確かに柳くんが言ってたところだったけど、これまたコートに柳くんの姿はなかった。
私はこの日、三度目、柳くんの携帯に電話をかける。
あいかわらず、電波が通じない。
電源を切ってる? 文字通り電波の通じないところにいる?
もしかして、女の子とデートをしていて電源を切ってる?
そんなことを考えると、なんだか地面がぐるぐるとまわるような気がした。
柳くんが女の子とつきあうなんてこと、考えたことがなかった。
結構モテる男の子だから、そんなことがあっても決して不思議ではないのに、どうしてかきっと彼はそんなふうにならないって、そう思ってた。
きっといつも私に親切にしてくれる男の子のままだって思ってたんだよね。
何の根拠もないのに。
私はなんだか泣きそうになってしまう。
あの匂い袋の紐が切れてどこかへ行ってしまった時と同じ気分。
いや、それよりももっと悲しい気分。
私はあてもなく携帯電話をいじっていると、ふと目新しい番号が目に入った。
そうだ、幸村くんに二つ目のサシェをもらった時、何かあったらかけてきなよって番号を交換したんだった。
少し躊躇したけれど、私は幸村くんの番号をプッシュした。
私がドキドキする間もないくらいすぐに、もしもし、という幸村くんの優しげな声が聞こえてきた。
「あのっ……」
電話をかけてみたものの、私は彼に何を話したらいいのかわからず一瞬言葉につまってしまう。
「さんだね? 柳には会えたの?」
いつもの穏やかな調子で彼は聞いてきた。
「それがね」
幸村くんは不思議だ。
優しげだけど何を考えてるかわからなくて、だけどどうしてだか安心できる。
「電話しても通じなくて、どこにいるかわからなくて、家になんか行けないし、どうしたらいいかわからないの」
唐突な泣きそうな私の言葉に、幸村くんが電話口でくくっと笑うのが聞こえた。
「ああ、そうなんだ。ふふ、柳は家にはいないだろうね。こんな休日は、きっと図書館にいるよ。多分、中央図書館」
「中央図書館……! わかった、ありがとう!」
幸村くんの笑う声が、もう一度聞こえた。
「そうそう、あのね」
「うん?」
「ねえ、不幸な夢を見るのは、幸せな時だけだよ」
「え?」
「いや、がんばって、さん」
彼はそれだけ言って電話を切った。
バレンタインだもの、モテモテの幸村くん、忙しいかもしれないな。
私は急いでバス停に向かって、中央図書館を目指した。
柳くんはそこにいるのかな。
顔を会わせたらどうしよう。
どうしたらいいかわからないけど、どうしても柳くんに会いたい。
あんなに毎日会ってるのに。
それなのに、どうして今日、なかなか会えない。
太陽の位置はどんどん低くなって、周りは暗くなるばかり。
それと同時に私はどんどん心細くなる。
バスを降りて走って、中央図書館に飛び込む頃にはもう閉館時間近かったかもしれない。
広くて静かな館内に入ってから、私はまず呼吸を整えた。
心臓は大きく脈打ったままだけど、とりあえず図書館だから静かにしなくっちゃ。
5回、大きく深呼吸をした後私は図書館の蔵書室へ。
レファレンスのお姉さんに、あなた、脈拍数多すぎます、と言われないか緊張したけれど無事通過。
柳くんがどのコーナーにいるのかも、幸村くんに聞いておけばよかった、なんて思いながら、それでもいつも教室で彼がどんな本を読んでいたかを思い出す。
それくらいは、私もちゃんと分かるんだ。
宮本武蔵の本なんかを読んでいたと思う。
ってことは、海外文学とかじゃなくて、日本文学とか日本史とかそんなコーナーのはずだ。
勉強をしたり本を読んだりしてる人の前を、そうっと通りながら私は柳くんの姿を探した。
よく考えたら、柳くんの私服なんかも見たことがない。
どこにいるの、柳くん。
本当にここにいるだろうか。
今日中に彼を見つけることができるだろうか。
まるで、今日彼を見つけることができなければ、私の世界は終ってしまうような気がした。
日本文学のコーナーの閲覧デスクを探し終えて、そして日本史のコーナー。どんどん奥へ行くけど、それでも彼の姿は見つからない。
なんだか泣きそう。
一番奥の小さな机の前で。
私はぴたりと足を止めた。
そこには、椅子に座って背筋をぴんとのばしてこっちを見ている柳くんがいた。
「図書館では、もう少し静かに歩く方がいい」
彼はそう言うと、手元のノートと筆記用具を鞄にしまって立ち上がった。
私が何も言えずに立ちすくんでいると、彼はそのまままっすぐ歩いて、私の横を通過する時にすっと私の手を取った。
彼がそんなことをするなんて初めてだし、そんなことをするなんて思いもしなかったから、びっくりして声が出そうになってしまう。
柳くんの手は、手袋もせずに外をうろうろしていた私のそれよりちょっと暖かかった。
柳くんがカウンターで二冊の本の貸し出し手続きを済ませると、二人で外に出た。
その時はもう手はつないでいなかったけれど。
「で、俺に何の用だ?」
外に出て私の方を向き直ると、そう勝ち誇ったように言うのだ。
グレーの柔らかそうなパーカーに、オフホワイトのダウン。
柳くんの私服なんて初めて見た。
やっと彼に会えた安心感で、私はしばらく何も言えない。
「用がないのなら、お互い帰るとするか。暗くなる」
静かにそう言うと、バッグを肩にかけなおす。
私は大きく息を吸った。
「ねえ、柳くん。もう、そんなに意地悪しないでよ」
精一杯に言った。
「俺は別に何も意地悪なことなど言っていないだろう?」
まったく、これだもの。
「今日、女の子からチョコレートもらった?」
「朝から図書館に来ている。そういった機会はないな」
「じゃあ、もし女の子が告白してチョコレートくれるとしたら、受け取る?」
「それは相手による。……、お前がくれるとでもいうのか?」
そこまでやりとりをして、私ははっと気づいた。
私、柳くんを探すことに精一杯で、チョコレートも何も用意してない!
手袋をしていない手を握ったり開いたりして、私は口をぱくぱくしてしまう。
私ってば、どこまで抜けてるんだろう。
今度こそ本当に泣きそうになった。
涙が出そうになるその瞬間。
柳くんが小さく笑って、ポケットから何かを出した。
「お前がチョコレートなど用意していない確率は97パーセント」
二月にしてはあたたかい北西風に、ふんわりとやわらかな香りが漂う。
私の冷たい手に柳くんが添えてくれたのは、紅色に貝の模様がついた小さな匂い袋だった。
「柳くん!」
それをぎゅっと握りしめて、私は彼を見上げた。
「あの……ほんと、好きなんだよね……」
やっと出てきたのはそんな言葉。
柳くんはふふっと笑う。
余裕って感じ。こういうとこ、にくたらしい。
けど、すぐにぎゅっと私の手を握ってくれたその力はほんと強くって。
「二度と、他の匂いをさせるな」
不幸な夢を見るのは、幸せな時だけ。
幸村くんの言葉を思い出しながら、私は柳くんに手を握られたまま歩いた。
暗くなった道を、二人で歩いて帰った。
(了)
「土曜の夜、君と帰る」
<タイトル引用>
「土曜の夜君と帰る」作詞・作曲、泉谷しげる
2009.2.14
