●● Mr.ダストデビル --- 5. 通信遮断 ●●
「で、なんなの」
駅裏ローソンの雑誌コーナーで腕組みしてるわたしのところに、赤也が息を切らせてやってきた。
「……アイス、食う?」
私の顔を見てニカッと笑って赤也は言った。
「今日は佐奈とケーキ食べて来たから、カロリーオーバーだよ」
「そっか」
赤也は自分のコーラと私の野菜生活をレジに持っていった。
そして、いつかのようにバス停のベンチに腰掛けた。
「だから、何の用なのって」
私はもう一度尋ねる。
「いや、用ってかさ。その……、今朝、泣いた後みたいな顔してたから、もしかしてあいつと何かあったのかって」
そんな言葉を聞いて、私は拍子抜けしてしまった。
「なに、用事ってそんだけ?」
「まあ、そうだけど」
赤也は相変わらず良い飲みっぷりでコーラを空にした。
夕べお風呂の中で泣いてから、腫れた目はパッティングしたりして結構ケアしてきたから、他には誰にも言われなかったのにな。赤也がそんなことを気にするのが意外だった。
「別に、なにもないよ」
「そっか、ならいーんだけどよ。もし、奴と喧嘩別れとかになったら、ちょっとは俺の責任だし、わりーなって、気になってたんだよ」
「縁起でもないこと言わないでよね」
「わりーわりー」
野菜生活のボトルをコトンとベンチに置くと、携帯の音が鳴り響いた。
悠樹から届くメールの着メロだった。
あわてて画面を開くと、内容は、明日学校が終ったら悠樹の家で勉強しないかっていうもの。明日は悠樹の部活がない日なのだ。
彼の家に行くのは、先月に例の件で喧嘩をして以来だ。それからは、彼の家に行くことは避けていたから。
彼の家に行くってことはどういうことか、私にもわかってる。
赤也がじっと私のことを伺っているのを感じながら、私は、いいよっていう返事のメールを出した。
「彼がね」
多分、赤也は気になって聞きたいんだろうなと思って、聞かれる前に話した。
「明日またゲーセンで待ち合わせてさ、その後、家に来いって」
「ふーん。で、行くのかよ」
「うん、まあね」
赤也は空になったペットボトルで、ぽんぽんと自分の太ももをたたいていた。赤也の筋肉はいい音を立てる。
「あいつと、やんの?」
「わかんない。でも、なんだかこういうのももう疲れてきちゃった。ちょっと怖いけど、でも、それは初めてだからだよね。きっと、してみたら結構なんてことないかもしれないし。まあ、ああいう子とつき合うには、ほんとは私ももうちょっと経験豊富な方だったら楽しくすごせるんだろうなあって思う」
赤也に言うというより、自分に言い聞かせるみたいにつぶやいた。
初めての恋だから、ひとつひとつのことが新鮮で楽しくて、そして恋に傷つくのも初めてだから、怖いんだ。
だけど傷ついたりするのも、結構なんてことないのかもしれない。そういうことにも慣れたら、こんな、檻に閉じ込められるみたいな気分の恋も変わるかもしれない。
私の隣で、ぽんぽんと赤也がペットボトルを鳴らす音のリズムが速くなった。
「ふーん、じゃあ今からケーケンホーフになればいいんじゃね? 例えば、あいつとの本番の前に、今これから俺とやってみるとかさ。」
隣を見ると、赤也はいつもの生意気そうな顔。
「練習、練習。ま、俺もしたことねーけど」
何か言ってやろうとして、でもなんだか気の利いた言葉が出なかった。
赤也はバカでお調子者で。
だけど、なんだかんだ言って気のいい友達だ。
赤也と寝る?
大きくため息をついて、空を見上げた。
悪くないかもね。
そんなに緊張しないかもしれない。
だって、私は赤也を好きじゃないし、赤也だって私を好きじゃないもの。
気が楽。
「……じゃあ、ゴム買って来て。後で割り勘するから」
大事にされたいなあ。
赤也に言い放ってから、私の頭の中には、夕べお風呂の中で何度もつぶやいては泣いた言葉がよみがえった。
私とつきあってるけど、他の女の子を見てばかりの彼。
そして、私を好きじゃないくせに、しようかって言う赤也。
この世に、私を大事にしてくれる人って、現れるのかな。
泣きそうな気持ちになって、私はずっと空を見上げたまま。
ダッシュでローソンに走ると思ってた赤也は、まだ隣にいた。
何やってんの、早く行ってきなよ、と言おうとして赤也の方を見ると、彼は立ち上がって自転車のスタンドを蹴り上げた。
「なーんてな。やめやめ。なんかお前、ノリわりー。そんなんでやっても、つまんなさそうだからな」
そう言い捨てると、奴はさっさと自転車に跨がってロータリーの向こうに消えて行った。
何、自分から言い出したくせに、あのバカ!
そんな風に内心ののしってみたけど、私の心には妙に重苦しいものしか残らなかった。
************
翌日の教室では、さすがに前日の所行にはムカついたから、私は赤也を徹底無視。まあ、向こうも別に声かけてこなかったけどね。
授業が終ると、私は急いで悠樹との待ち合わせ場所に向かった。
「よぉ、試験どうだった?」
顔を合わせると、いつものなんでもない笑顔。
「うん、まずまずだったよ」
そうやって話しながら、ゲーセンへ。
ちょっとした格ゲーで対戦して、太鼓の達人やって、UFOキャッチャー。
彼は私が希望したリラックマにチャレンジすること、二回戦目。
「そういえばさ」
「うん?」
「立海の奴からちょっと聞いたんだよな。が立海のテニス部の二年とつきあってるらしいって」
ついに来た。うん、悠樹に伝わらないわけないよね。それにしても、今度はつきあってるって!
「ああ、なんか最近噂されてるの。でもぜんぜんウソだよ」
私はそのままに答えた。
私には当然なにもやましいこともないわけだし、隠すこともないけど、なぜか私の心臓は激しく動く。悠樹の次の言葉を待った。
「そっか。だよな。けど、噂になるってことは何かその理由があんのかなって心配になった」
「べつにないよ。けど、立海の誰から聞いたの?」
チア部の三年の女の人?
彼女が、私と赤也がつきあってるって悠樹に言ったの?
私は本当はそう尋ねたかった。
「誰って、別に、ちょっとしたツレだよ」
予想通りの答え。
二回戦、一回目の勝負では、またもやリラックマはクレーンから転落。
バネが弱いんだよな、と悠樹は愚痴る。
「今日、うち来るだろ? 親いねーし、ゆっくりできる」
悠樹はわかってるんだ。
赤也とのこと言ってくるけど、本当はたいして気にしてない。そして、赤也のことを持ち出したら、私が彼の家に行く誘いを断れないって、わかってる。
チア部の人も、悠樹の部屋に行った?
悠樹は私を大事に思ってるの?
私が悠樹の部屋に行っても、その後もまた他の女の人に会う?
私の頭で渦巻いてるのはそんなこと。
かっこわるい。
すごいやきもちやきの女みたい。
でも、どうしても考えてしまう。
なのに、どうしても上手く言えない。
大事にされたいなあ。
リラックマをみつめて必死な悠樹の隣、私は涙があふれて来るのを止められなかった。悠樹が気づかないうちにと、ハンカチを取り出そうとする瞬間。
「すいまっせーん! リラックマ、並んでるんスけどー!」
間延びした声に驚いた悠樹は、操作を誤ってリラックマを落としてしまった。
終了。
「くっそ、なんだよ! 途中だっただろ!」
悠樹がさすがに怒った声で振り返ると、そこに立ってるのは、シャツの裾をだらしなく出してスニーカーのかかとをふんずけた赤也。
私は涙を拭くのも忘れて驚いて、声も出ない。
「そいつ、泣かさないでくださいよ」
赤也の言葉に、はあ?と悠樹は私を見た。
「ああん? あれ、お前、何泣いてんの」
「隣で泣いてんのに気づかないくらいだったら、エッチなこととかしないでくださいよ」
「はあ? お前、何?」
わけがわからないといった風の悠樹の視線の先の赤也は、ポケットに手をつっこんで何でもない風にしてるけど、目だけはやけに強かった。
私は教室の赤也しか見たことないけど、テニスするときはこういう真剣な目をするのかな。
こんな時だというのに、私はどうしてだかそんな赤也の目に心を奪われた。
悠樹の目は、赤也の背中のテニスバッグを映した。
「……ああ、お前、立海のテニス部二年?」
「そーッス。噂の二年生エースとは俺のことっス」
悠樹は髪をかきあげて、私と赤也を見比べた。
「ふーん。で、、お前、どーすんの?」
そして、別段怒ってるわけでもなく、ひょうひょうとした声。
そういえば、塾で初めて悠樹に会った時、私は彼の自転車を思い切り倒しちゃったんだよね。大きな上級生だしぜったい怒られると思ったら、ぜんぜん怒んなくて、のんびり他の自転車まで起こしたりしてたっけ。そんなとこが好きになったなあ。ちょっと前のことなのに、すごく昔のことみたい。
「……ごめん、なんか、もういいや」
自分が何を言ってるのかわからないけど、私は涙を流したまま笑って、右手を上げた。
「……そっか」
悠樹はちょっと苦笑いをして、私のその手にパーンとハイタッチ。
下に置いた鞄を持って、ゲーセンを出て行った。
「……おい! 今の、どーなったんだよ!」
残された赤也は、妙に真剣な顔で私に詰め寄った。
ほんとガキだなー。
「さよならってこと」
私は携帯を取り出して、悠樹の番号とアドレスを消した。
まあ塾で顔は合わせるけどね。きっとこういうの、儀式だから。
終った恋とは通信遮断。
「えっ、あれで? いいのかよ! わっかんねーなー」
相変わらず赤也は不思議そうに、しきりに首をひねる。
「リラックマ、取るんじゃないの?」
「ああ、そうだな」
赤也はコインを入れて、操作を始めた。
「……赤也はどうして私が泣いてるってわかるの?」
「はあ? どうしてって、外歩いてて雨降ってたら雨だってわかるだろ? それと同じじゃん。見てたらわかるっつの」
赤也が操作するクレーンはがっちりとリラックマを捕らえた。
一発でホールに落とされるリラックマ。
赤也は出て来たそれをつかんで、ぐいと私に押し付けた。
「が泣いてたり、不安そうな悲しそうな顔してたら、つまんねーよ。俺はにそんな顔させねー。、男の趣味わりーんだろ? 俺、超おすすめの、どうしようもないバカ。どうよ」
赤也に押し付けられたリラックマをぎゅうと抱きしめて、私は彼の目を見た。
笑ってるけど、ちょっと不安そうで。
「……男の趣味、変えようかなって最近思ってる」
くくくと笑って言うと、赤也はぐしゃぐしゃと髪をかきまわした。
「そりゃねーだろ!」
赤也はぶーぶー言いながら、二個目のリラックマに挑戦中なので、私も応援。
「頑張って。大事にするから」
大事にされたいなあ。
私も大事にするから。
(了)
2008.1.24
