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● 獣たちの巣(5)  ●

 冬休みを目の前にして、今年最後の保健当番。
 
 橘くんたち、テニス部がもうここに来ないことはわかってる。
 テニス部来なくてほっとするわー、なんて自分に言い聞かせるみたいにわざわざ口にしながら部屋に入って、先生の机にドスンとがさつにバッグを置いた。
 今日は久々の、職員会議の日の当番だ。
 そういえば橘くんたちが怪我して押しかけてきたのも、職員会議の時の当番の日だっけ。
 先月のことなのに、すごい前のことみたい。

 きっと、もう橘くんと話すこともないんだろうな。

 ふとそんなことを考えた。
 廊下なんかで顔をあわせたら、彼はきっと丁寧に挨拶をしてくれるだろう。
 だけど、なんて言ったらいいだろう。
 そういった時の彼の誠実な笑顔を頭で思い描いて、私はため息をついた。
 そういうのじゃ、もどかしい。
 律儀な彼はきっと、あの時怪我をして保健室に来たというきっかけだけで、私に恩を感じてくれてる。
 そういうのは、もういいの。
 そういうの、気遣って、「さん」なんて言ってくれなくていいの。
 
 本当は、何ていうのかなあ、私、もっと対等な立場でに橘くんと友達になれたらよかった。
 そう、頭の中で言葉にしてみて、苦笑い。
 友達、なんてウソばっかり。
 
 私は橘くんが好きなんだと思う。
 恋をしてるんだと思う。
 
 だけど、あんな風にまっすぐに熱く生きている橘くんと、こんな何もなくてだらだら過ごしてる私は、どう考えてもつりあわない。
 本当にたまたま、あの日に保健当番だったから、口をきくようになっただけ。
 それだけのことだ。

 私には、何もないもの。
 だから、橘くんを好きだなんて、思ってはだめだ。
 彼の率いるテニス部が全国に行けるといいねって、ちょっとそれを応援するくらいかな、私がしていいのは。
 まだ、大丈夫。
 ちょっと、橘くんっていいかもって思っただけ。
 へこんでしまうほどの、片思いではない。
 大丈夫、大丈夫。
 まずは、橘くんのことは忘れよう。
 もうすぐ、楽しい冬休みじゃない。友達と遊びに行くこと、家族で旅行に行くこと、お年玉をもらえること、そんな楽しいことがあれば、きっとすぐ忘れる。
 そうやって、私が楽しい冬休みの想像をしていた時だった。

 保健室の外出入り口のドアのノブが動く。
 思わず、椅子から立ち上がる。静かな保健室に私の心臓の音が響くくらいに、ドキンとした。
 もう、橘くんが来るはずがない。だけど、また世話になるとか、言ってたっけ?
 胸が熱くなっていくのを、押さえられない。

「橘くん?」

 思わず、言ってドアの方を見た。
 けれど。
 入ってきたのは、知らない男の子たち。

「……あ、あの、先生は職員会議なんだけど……。何か、怪我でも?」
 私は、自分の浮かれっぷりがバカみたいで、ついトーンの下がった声で彼らに言った。
 制服姿で、とても部活中に怪我をしたようには見えない彼らは、私の言うことにも構わず部屋の中に入ってきた。
 3人の男の子たちは、妙に険しい顔をしている。
 雰囲気が妙だ。
 私は、はっとした。
 そうだこの子たち、同じ学年の、テニス部の子たちだ。
 つまり、橘くんたちとやりあって活動しなくなった方の、「元」テニス部。

「お前さあ」
 
 細い顎をした、目つきの鋭い子がピリピリした顔で言う。
 お前って、私のこと?
「橘のテニス部に、肩入れしただろ」
 彼の言葉に、私は脈が速くなることを感じる。
 私も、察しが悪い方ではない。
「はあ?」
 とりあえず、間抜けな返事をしてみる。
「ばっくれるんじゃねーよ。お前、橘の女だろ。で、うまいこと保健室であいつらをかくまったり、教師を言いくるめたりして、あいつらのテニス部認めさせんの、手伝っただろ。いい気になってんじゃねーよ!」
 彼の言ってることは何一つ真実ではないけれど、とにかく彼はそう思い込んでるみたいだし、そしてこの場がものすごく不穏であることは確か。
 きっと、私はすぐにでも走って逃げた方がいいんだろうと思うけど、すでに3人の男子に囲まれてしまった。
「……橘、ここに呼べよ」
「は?」
 彼の言葉に、私はまた間抜けな返事。
「だから、電話してあいつをここに呼び出せっつってんだよ!」
 イライラしたように続ける。
「え? だって、ケータイの番号とか、知らないもん」
 私は率直に答える。
 すると、彼は眼を吊り上げて、ずいと、息がかかりそうなくらいに目の前に立つ。
 凄んでにらみつけるけれど、不思議なことに私は彼から見下ろされても何の迫力も感じなかった。
 だって、もっともっと強い眼を見たことがある。
「ンなわけねーだろ! いいから、早く呼べよ! お前が呼べば、来んだろ! お前をメチャクチャにしてやれば、あいつも黙っちゃねーだろ! 理由はどうあれ、二度も暴力沙汰を起こせば、テニス部なんかお終いだよなあ!」
 その言葉を聞いた瞬間、私は右手で、彼の胸をぐっと押し返した。
 私が反撃するなんて、思ってもいなかったんだろう。
 彼はふらついて、一歩下がった。
「橘くんのケータイなんか、知らないって言ってるじゃん! 私は橘くんともテニス部とも、何の関係もないし。自分たちがテニス弱いからって、こんなとこでカンケーない私に八つ当たりしないでよね。部活やってないなら、早く帰りなよ。ここには、橘くんもテニス部の子も、誰も来ないよ!」
 自分たちがテニスしたいわけでもないくせに、どうして橘くんたちがテニスするのを邪魔をしようとするの!
 そういうの、腹が立つ。
 本当に私、橘くんの携帯の番号なんて知らない。
そして、保健の先生だって呼ばない。
 だって、テニス部関連でトラブったら、きっと、スタートしたばかりの橘くんのテニス部の活動に支障があるかもしれない。
「ここは保健室なんだからさ。用がないなら、出てってよ」
 彼らから眼をそらさずに言う。
 私が強気なのには、理由があった。
 私が立ってるすぐ傍にはちょうど非常ベルがあって、何かあったらフタをぶち割って押してやるんだ。
 全校にベルが響き渡って、私は先生からこっぴどく叱られることになるだろうけど、構わないんだから。
「……てめー、調子づいてんじゃねーよ! ブン殴ってやる!」
 細い顎の子が、怒りをあらわにして手にするバッグを私に向かって振りかざす。
 いよいよ非常ベルか、と手を伸ばしかけたその時。
 不思議なことが起こった。
 彼の顔面に枕が飛んできて、ポフッと当たったかと思うとそれでバランスをくずした彼は床に尻もちをついたのだ。
 枕が飛んできた先を見ると、カーテンに手をかけながらベッドに腰掛けた橘くんがいた。

「橘くん!」

 驚いて思わず声を上げてしまった。

「……てめー、橘!」
 
 尻もちをついた子を含め、3人が口々に叫び、橘くんに飛び掛ろうとしたその先で、橘くんは涼しい顔で携帯電話をつまんで見せる。

「いいのか? 今、お前らがさんに言って脅したこと、バッチリ録音したぞ。二度目の事件で、自分たちの処分を心配した方がいいんじゃないのか?」

 橘くんの言葉に、ぎょっとした3人は顔を見合わせる。

「……クソッ、汚いマネしやがって、よこせ!」
 
 橘くんから携帯を取り上げようとするけれど、もちろんそんなことはかなうわけもなく、橘くんは余裕の表情で軽く身体をかわすだけ。
さんが言ったように、大人しく帰った方がいいぞ。帰らないんなら、これからこの録音データを職員室に持っていくまでだ」

「……てめっ……、クッ!」

 彼は橘くんが放った枕を、思い切り床に投げつけると、保健室の外出入り口から出て行く。他の子も私たちを睨みつけながらそれに続いて、最後に出て行った子は、扉が壊れるんじゃないかと思うくらいに乱暴に閉めていった。
 その姿を見送った後、あわてて振り返ると、橘くんは枕を拾って丁寧にほこりを払っている。

「……びっくりした……録音なんかしてたの?」

 とりあえずそんなことしか言えなくて、そして自分の声がかすれているのに気づく。いつのまにか、喉がカラカラにかわいていた。緊張してたんだ。
 橘くんは、あのお日様みたいな笑顔でフと笑う。
「俺のこの古い携帯に、ボイスレコーダーの機能なんかついてるわけないだろう」
 少し恥ずかしそうに、傷だらけの古い携帯を見せてくれた。
 確かに、そりゃそうだ。
「……いつからベッドにいたのよ」
さんが来る、少し前だ」
 なんでまた、と私が言う前に、橘くんはあの強い眼で、じっと私を見た。
「……さんを、待ってたんだ」
 私を?
 ほこりを払った枕をベッドに戻し、シーツを整えると、橘くんは私のすぐ目の前に立った。
「あいつらが来た時、本当はすぐに飛び出して行って、さんを安心させてやりたかった。けど、それじゃあいつらの思うつぼだし、荒っぽいことになって、さんを危ない目に合わせたらいけないと思ってな。すなまかった、怖い思いをさせて……」
橘くんが、眉間にしわをよせて本当に申し訳なさそうに言うものだから、私はぶんぶんと首を横に振った。
「ううん。ちゃんと上手いこと助けてくれたじゃない。それに、何かあったら非常ベル押してやろうって思ってたから、大丈夫。ちっとも怖くなんてなかったから」
 ウソ。
本当は怖かったし、大丈夫じゃなかった。
橘くんの声がして、橘くんの姿が見えて、ほっとして嬉しくて泣いてしまいそうだった。
「……さん、ありがとう。俺たちのテニス部を守ってくれようとしたんだろう?」
いつかのように、私の頭のてっぺんに掌を置く。
今度は一瞬じゃなくて、橘くんの手の大きさや熱が伝わってくるくらい。
「……別に、そんなんじゃないよ。本当にただ、橘くんの携帯の番号なんか知らなかっただけだし、私、部活とか興味ないからテニス部がどうとかなんて、何も考えてないし」
なのに、そんなことしか言えない。
橘くんは、私の頭から手を離して、そしてもう一度さっきの傷だらけの携帯電話をポケットから取り出した。
「そうだったよな。俺の番号、教えておくから、今度何かあったらいつでも俺を呼んでくれ。さんには、いつも世話になりっぱなしだ」
どうしてだろう。
橘くんと携帯番号交換するのは、嬉しいはずなのに、私の胸は痛くなる。
彼の携帯を眼にして、次の瞬間、私は弾かれたように机から鞄を取ると扉の方へ向かった。
「橘くん、そういのいいから。私、本当に、別にみんなの世話したわけでもないし、橘くんに貸しがあるわけでもないよ。そんなに律儀にいろいろ言ってくれなくてもいいんだってば。それに、前から言ってるじゃん、そうやって名前で呼ぶのやめてって」
橘くんが好きなのに。
橘くんと近くなりたいのに。
でも、こんなんじゃ、イヤなの。
いつもテニス部がらみでたまたま私が関わってしまうと、橘くんは律儀だからこうやって気をつかってくれる。
そんなの、もうヤダ!
橘くんの律儀さを誤解しちゃって、辛いだけじゃない!
 
保健室を飛び出そうとして、ドアノブをつかんで扉を開けようとした瞬間、大きな長い手が、私の背後から伸びて、バン! と扉を押して閉めた。
振り返って見上げると、それは今まで見たことのない橘くんだった。
真剣な表情で眉間に少ししわをよせ、唇をきゅっとかみ締めて、短い髪の毛はまるで逆立っているよう。
荒野で出くわす野生の獣って、こんな感じかもしれない。
そんな風に思った。
怖い、というのとは少し違う。
その圧倒的なエネルギーに、動けなくなってしまうの。
私はドアに背中をぴったりとくっつけて、彼を見上げる。
橘くんは、軽く深呼吸をして、一瞬眼を閉じる。
荒野の獣は、今、まるで喰らい尽くされそうなくらい目の前にいる。
「……さんが俺のことを嫌いなら、仕方がないし、構わない。けど、これだけは聞いていってくれ」
 見開いた眼で、じっと私を見る。
「今まで、さんに、世話になっただとかありがとうだとか言っていたのは本心だが、けれど……すまない、それは、俺の口実だ」
「は?」
 低くて響く彼の声ははっきりと聞き取れるけれど、言っている意味がわからなかった。
「口実?」
 私が聞き返すと、橘くんはまた眉間にしわを寄せた。
「テニス部が世話になったから、なんてのは、口実だ。そんなこと関係なくて、俺はただ……さんと携帯の番号を交換したい。俺たちのテニス部の部室ができて、ここに来る用事がなくなっても、それでもさんの顔が見たい。……今日は、本当は、そう言いに来たんだ」
 そう言うと、扉を押さえていた手を離した。
 すると、まるで足場が崩れたように、私は床にへたりこんでしまった。
 胸がドキドキして、足に力が入らない。
さん、どうした! 気分が悪いか! さん、しっかりしろ!」
 驚いた橘くんが、あわててしゃがみこんで両手で私の肩を支えた。
 さん。
 彼の、私の名を呼ぶ声が、耳から脳に染みて体全体に流れていく。
 それはまるで、橘くんのあの声が私の全身の血液の中に混じったようで、自分の顔がカーッと熱くなるのを感じた。
さん……いや、すまん、さん。顔が真っ赤だ! 大丈夫か!」
 彼が、本当に心配そうに真剣な顔で私の両肩をつかんで言うものだから、私はその分厚い胸板を、掌でパシンと叩いた。
「……好きな男の子に名前で呼ばれたら、照れくさくって恥ずかしくって、顔が赤くなったりもするよ! 橘くんって、そういうの、ほんっとわかってない!」
 私のすぐ前にいる橘くんは、口を開いたまま一瞬眼を丸くして、そして、眉尻を少し下げて笑った。いつも自信たっぷりで、堂々としてた橘くんが、ちょっとだけ子供みたいな笑顔。
「……だったら、これからもさんって呼んでいいかな」
 返事をするかわりに、もう一度胸をパシンと叩くと、彼は両腕で私を支えて立たせてくれた。
 橘くんの大きな体、低いけれど優しい声、しっかり強い眼。
 今までと違って、眼をそらさずにまっすぐ受け止めてみる。
 橘くんを好きって、思っていいんだ。
 あの、1年の子たちみたいに、まっすぐな気持ちで。
さん」
 そして、彼がまた改めて呼ぶものだから、私はあわてて顔をあげた。
「はっ、ハイ、何!」
 妙にかしこまってしまう。
「……冬休みになったら、正月は一緒に初詣に行かないか」
 そして、ものすごく真剣な顔で、ひとこと。
 少し緊張してた私は、思わず吹き出してしまった。
 笑いながら橘くんの胸を、こぶしでドンドン叩く。
「嫌なのか?」
 彼が心配そうに言うものだから、あわてて首を振った。
「ううん、行く行く」
 クリスマスなんか素通りして、初詣ね。橘くんらしい。
「不動峰テニス部の、必勝祈願をしないとね」
 私がそう言うと、肩に添えられた橘くんの両手にぐっと力が入った。
 彼との距離が近くなって、熱を感じるその瞬間。
 橘くんのポケットの携帯電話が、ブブブと振動音を出す。
 すまん、と言って電話を取り出した彼は画面を見て、決まりの悪そうな顔をした。メールみたい。
「どうしたの?」
「1年の伊武からだ……『橘さん、今日は部活どうするんですか』ってな」
 そう言うものだから、私はちょっと不思議に思って彼を見上げる。
「どうするって、橘くん、そりゃ部活は行くでしょ?」
「……今日は大事な用があるから、もしかしたら俺は休むかもしれんと、あいつらには言ってきた。それで、首尾を聞いてきやがったな……」
 照れくさそうに、頭を掻きむしる。
 橘くんが、こんな仕草をするなんて意外。
「知らん顔して、部活行けばいいじゃない」
「……あいつらに、俺がフラれたと思われるのはシャクだ」
 これまた意外なことを言うものだから、私はまた吹き出してしまう。
「私も、まだ保健当番があるもの。部活終わったら、一緒に帰ろう」
「そ、そういえば、そうだな、うむ。じゃあ、終わったら俺が保健室に……いや、コートで待ち合わせて……」
 彼にしては珍しく、言いよどんで軽くため息をついた。
「うん、どこでも同じだな。どっちにしろ、あいつらが俺にくっついてくる」
 あいつらっていうのが、あの1年生の子たちっていうのはすぐに分かって、なんだかお父さんにくっついてくるひな鳥を想像して、笑ってしまった。
「ここで、待っててくれ。多分、みんなで来ることになるだろう。みんなで、一緒に帰ろう。すまないな」
 橘くんは、恥ずかしそうに申し訳なさそうに言うけれど、私の胸の奥はポカポカとあったかい。
 いつも、この保健室から出て行くのを見送るばかりだったあの7人と、私も一緒に歩いて行けるんだ。
 そう思うと、不思議に嬉しかった。
 それに、いいの。
 初詣は、きっと二人で行くよね。

(了)

「獣たちの巣」
2012.6.10

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