気が多いあなた



 真田弦一郎は、部室で幸村精市と二人、打ち合わせを終えたところだった。

「では、そういう事で、この件は明日には柳にも伝えておく」

 弦一郎がファイルを閉じて棚に仕舞い、帰り支度をしようとすると、精市がそうそう、と思い出したようにつぶやいた。彼に背を向けながら、弦一郎は小さくため息をつく。精市がこうやって切り出す話は、弦一郎を何かちょっとした一言でからかうような事が多い。

「真田、ここのところにご執心のようだね」

 そして案の定、精市はふふ、と楽しそうな口調で言うのだった。
 弦一郎は何も言わず、ファイルを整理するふりを続けた。

「この前、部活の帰り、体育館の傍を通ったんだけどね。ライトもついてないし、もう誰もいないだろうと思ってたら……声が聞こえたからさ。……真田の。あれ、だろう?」

 弦一郎は眉間にしわをよせつつ、精市を振り返った。

「だいぶ夢中になってたみたいだけど……何事も、過ぎたるは、なお及ばざるが如しだよ」
 
 精市は弦一郎の反応がおかしいのか、くくくと笑う。
 そう、確かに精市の言う通り、弦一郎はこのところに夢中だった。
 先日も体育館にトレーニング用のウェイトを片付けに行っただけのつもりだったのだが、体育館で部活を行う部員たちは皆帰り、ぽつんと残されたが弦一郎の目を惹いた。
 普段からは好きだったが、その時は久しぶりだった事もあり、思わず駆け寄って手を触れると、靴も脱がずに己の身体を預けた。
 その重さを確認すると、ぐい、と自分の胸に引き寄せる。
 何度も何度も繰り返していると、の重みは弦一郎の分厚い筋肉に覆われた胸をじんわりと熱くするのだが、その痛みに似た熱さは彼をどんどん夢中にさせる。
 もう少し……もう少しだ。
 最後の力を振り絞る、そんな時に、おそらく思わず声が漏れていたのだろう。
 弦一郎は先日のそれを思い出して、眉をひそめたまま精市の目を見ないでつぶやいた。

は……つい入れ込んでしまうのでな。特に最近、その……成果も出ているし。幸村、お前だって前はよくを……」
 
 言いかけて、弦一郎は口をつぐんだ。
 精市は、またふふっと笑いながら自分の胸に手を当て軽く上下にさする。
「ま、そうだけど、今は手術の後だしね、ちゃんとわきまえてるよ」
 弦一郎は相変わらずじわりと熱い胸にぎゅっと手を当てた。
「でもほら、真田、ちょっと前まではに夢中だったじゃないか」
 ああ、と弦一郎は少し目を細めた。
は、もちろん今でも……」
 言い訳をするように続けた。
はなんというか……」
 彼は胸に当てていた手をすうっと腹の方へ下ろし、ぎゅっと力を入れた。
は……していると、なんとも癒される。は、いつも終わった後全力を出しつくしたような疲労感が残るが。にも……もちろん俺は一生懸命だが、それでもは、いつまででも続けていたいような、そんな感じだな」
「真田って、はさ、コートの脇なんかで、気がつけばいつもって感じだったじゃない。ほんと、熱心だったよね。真田はいつもを……」
「……は、と違って時と場所を選ばぬからな。は……いつでもどこででもというわけには行かぬだろう」
 弦一郎は言いながら、に集中している時の事を思い出す。
 少し身体を縮め、小刻みに繰り返すその動きを続けていると、他の事を全て忘れられるのだ。

も、たしかにいいよね。俺も、好きだよ。でも真田、を忘れてないかい?」

 精市の、わざとらしく責めるような口ぶりに、弦一郎ははっとした。
「ああ、その最近少々ご無沙汰だが、忘れているわけではない。の大切さは、よくわかっているし。……は、……この前の試合で少々膝を痛めただろう? それで今は、控えているだけだ……。すぐにまた、ちゃんとする」
 ついつい真剣に答える弦一郎に、精市はおかしそうに声をたてて笑った。
「お盛んなのはいいけどさ、何でも程々にしないと、そのうち痛い目を見るよ」
 そんな精市に、弦一郎は眉間にしわを寄せたまま、フンと鼻を鳴らした。
「余計なお世話だ。のすぐ後にを、というわけではないし、きちんとインターバルを開けている。毎回クールダウンだってしている。俺は間違った事はしていない」
 言いながら、きっと、精市も体が本調子に戻ったら、弦一郎以上にあれこれ励むに違いない、と思った。こんな、何やかやと口出しする奴はもう置いて帰るか、とも思ったが、まあやはり一緒に帰ろう。帰り道『幸村はが好きだったろう?』などと話でもしながら。

(了)

2007.10.29




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