テニプリエロバトンお誘い編(乾)



「ハードディスクのパーテーションを区切って、データはこっちに入れておくといい」
 乾の言葉は私の耳を通過するだけ。
 ハイハイ、なんでもそのとおりにやっちゃってください。
 ここは乾の部屋。
 ノーパソのOSをバージョンアップするの面倒くさいなあ、なんて学校で話したら、乾がやってくれることになったのだ。
 尚、私と乾は別につきあってるってわけじゃない。
 わけじゃないけど……。
 私はPCに向かう真剣な顔の乾の横顔をちらりと見た。
 たぶん、私たち、結構いい感じなんじゃないかと思ってる。私としてはね。
 わりと仲はいいし、何度か一緒に帰ったことがある。ちょっとふざけて手をつないだこともある。
「デフラグもしておいた方がいいな」
 脇目も振らずキーボードを叩き続ける彼を見つめることをやめて、私は彼の部屋を改めて見渡した。散らかってはいないけど、いかにも男の子の部屋って感じだ。
 壁にはいろんなメモが貼付けてある。乾らしい。
 乾らしい、か。
 乾って、わかるようでわからない。
 私たちは仲がいいっていうのも、もしかしたら私の勘違い? と思うこともある。
 だって、乾って、ほんと誰にでも人当たりがいい。
 頭がよくて親切で頼りになるタイプのくせに、いじられキャラでさ。女子ともよく話す。
 話題も豊富だし、クラスのたいがいの女子は乾と話した事があると思う。結構おしゃべりだし。
 今、私がうだうだ考えてる時もね、乾、しゃべりっぱなし。
 Cドライブがどーたらこーたらとか。
 もしかしたら、こうやって女子を部屋に招くことも、乾にとっては珍しいことでもないのかも。
「……おい、聞いてるか?」
 乾の低い声が私の意識を現実に戻した。
「え? ああ、ごめん、聞いてなかった。もうよくわかんないしさ、とりあえず今まで通りに使えてデータが消えてなかったらいいんだ。たいしたことに使わないし。ネットして、レポート書いて、お小遣い帳つけて、ダイエット記録つけるくらいだもん」
 乾は私を見て、緩く笑った。
 乾はすごく話しやすいしツッコみやすいタイプなのに、よくよく見ると大人っぽくてかっこいい。
「大丈夫、データはちゃんと今までと同じフォルダに入ってるし、消えてないよ」
「ありがと、助かった! ちゃんとソフトについて来たマニュアル見てやれば簡単なのかもしんないけどさ、なんか心配なんだよねー、データ消えちゃったりしないかとか」
 乾は私のPCの電源を落とす。
 乾って。
 私とのこと、どう思ってるのかなあ。
 私は、結構仲良しだと思ってるんだけど、こういうの、乾は他の女の子とするのと同じ程度のつきあい?
 前に手をつないだのも?
「……聞いてるのか?」
 気がつくと、また乾が何か言ってたみたい。
「えっ? ごめん、ちょっとぼーっとしてた。何て? 何か上手くシャットダウンできなかった?」
「こっちの作業は終ったよ。……今度は君のデータを取らせてくれないか?」
 私は目を丸くして、眼鏡のブリッジを指で押さえるしぐさの彼をじっと見つめる。
 乾の口元には、いつもの穏やかで大人っぽい微笑みが浮かんでいた。
 彼の言葉を頭の中で反芻して、問い返す。
「えーと、もう一度言ってもらえる?」
「……君のデータを取らせてくれないか?」
 乾は同じ言葉を繰り返す。緩い笑みを浮かべていた口元がきゅっと閉じられた。
「……あの、もう一度……」
「君の……データを取らせて、くれないか……」
 今度はその眉毛がハの字に下がってきた。
「……いや、すまない。聞かなかったことにしてくれ」
「いやいやいや、聞いてるって!」
 私はあわてて乾の上着の袖を引っぱった。
「ごめん、ちょっと聞き間違いか、何か勘違いだったかなーって思っちゃって」
「……いいんだ。俺は自分のキャラをもふまえた上で、かなり気の利いた上手い事を言ったつもりだったんだが、盛大に外してしまったようだな」
 乾の意気消沈ぶりは相当なものだった。
「乾ったら! そんなことないよ! 私も、男の子からそんなこと言われたことないから、自分の耳を疑っちゃって……」
 言いながら、今になってなんだかおかしくなってしまう。
 だって普通言わないよねー、『君のデータを取らせてくれないか?』なんて。
 でも、さっき乾が何度も言ってくれたその言葉、実は結構胸にぐっとくる。
「……こんな大事な場面でスベってしまうとは、俺はダメだな……」
 彼の落ち込みっぷりは変わらず。
「スベってないって! データ、いくらでも取っていから!ね?」
 そう言うと、乾はようやく顔を上げた。
「……いいのか?」
「うん、乾、データ取るの得意でしょう?」
 そこまで言って私ははたと我に返る。
「……ところで念のため聞くけど、私のデータを取るってどうやって取るの?」
 乾の口元は緩い笑みを取り戻して、そして彼はその長い指でそっと眼鏡を外した。
「……それは、口では言えないな」
「デ、データ取るのに眼鏡いらないの?」
「データを取るっていうのは、視覚だけに頼るものではないんだよ」
 彼の低い声がぐっと近づいた。
 指が私の手に触れる。
 前に一度だけ触れた事のあるその指、今日はやけに熱い。
 その熱い指が、私のデータ収集に大活躍することは間違いないだろう。
 オーバーヒートしそうな熱が近づくのを感じながら、私はぎゅっと目を閉じた。

(了)




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