仁王雅治の都市伝説

「何、見ちょる」

「ん? 生きた都市伝説を目の前にして、見つめずにはおれないの」


 なんだ、背後からどれだけ見ててもバレないかと思ったのに、鋭い奴め。
 私の前の席は仁王雅治。テニス部の有名人だ。
 今の私は席替えの恩恵にあずかり、通常ならほとんど口を利くこともない彼を興味深げに凝視し放題なのである。

「なんじゃ、その『生きた都市伝説』って」

 仁王は軽くため息をついて反応する。お愛想でって感じのリアクション。
「仁王雅治の都市伝説だよ。『人妻とつきあってる』とか『チア部の女子はほとんど喰ってる』とか『ものすごいマニアックなプレイを好む』とか……」
「まだあるんか」
「あるけど、これ以上は教室じゃとても口に出せない」
 仁王はプリッとつぶやいて髪をかきまわす。
 ほらね、こうやって噂を否定も肯定もしないところが、都市伝説の温床となるみたいだ。後ろの席になり、彼を観察するようになってからわかったこと。
「仁王雅治の都市伝説が都市伝説たるところはね、誰一人として、ナマの目撃者や当事者からの話を聞かないってとこなんだよね」
 私がわざとらしくもったいをつけて言うと、仁王は『ほほぅ』なんてこれまた芝居がかったそぶりで聞いてくる。
「じゃあどうしてそんな風説が流れるんじゃ?」
「そんなの知るわけないじゃん。『誰々から聞いたんだけど〜』って話が流れてるわけよ。都市伝説ってそんなもんじゃん」
「まあ、そりゃそうじゃな」
 なんて、彼は他人事を楽しむように笑う。
「で、そういう都市伝説を目の前にして、お前さんどうなわけじゃ? 面白いんか?」
「いやー、どうっていうわけじゃないんだけどさ。こう、私なんかとは別世界じゃない。人妻とドロドロの愛憎劇を演ずる中学生なんてさ。まさにドラマに出てくる話みたいで。そんなものすごいことをやってるかもしれない子が、目の前にいるのかーと思うと妙に感動するわけよ」
 実際に思っていたことを言ってみると、これまた仁王は面白そうに笑った。
「なるほど、怖いもの見たさちゅうとこか」
「あっ、そうそう、まさにそう。上手いこと言うね」
 私がポンと手をたたくと、彼は思わせぶりに微笑んだまま私を見る。
「都市伝説ってモンには、どうして決定的な証言がないか、わかるか?」
 そして、静かな声で言うのだ。
「さあ? どうして?」
 私が素直に聞き返すと、彼はそのきれいな唇の端を品良く上げる。
「生き証人は消せ、ちゅう原則に決まっちょるじゃろ」
 微笑んだまま静かに言う彼の言葉に、私は急に背筋が寒くなって姿勢を正した。
「け、消すの!?」
「消すちゅうのは、言葉のアヤじゃ。つまり、こうも考えられるじゃろ? 都市伝説を実際に体験した者は、それを口外できない程に喰らいつくされる……」
 私は目を丸くして、目の前の飄々とした男の子を見る。
「……仁王、怖ろしい〜! 口外できないほどの喰らいつくしって、もうそれは私の想像を超えてるよ! 刺激的すぎる!」
 私が非難するように言うと、彼は今度はその唇を軽くとがらせた。
「あほか、都市伝説じゃろ。現実とごっちゃにするな」
 自分で言っといて。
「いやー、仁王、ちょっと怖すぎるわ。生きた都市伝説、シャレにならんわ。女子の怨念が肩のあたりに集まってそうで怖すぎる! 早く席替えにならないかなー」
 私は思わず机につっぷした。
 こんな話を聞いてしまっては、仁王の周りに生霊を見てしまうかもしれない。
 怖すぎる!
「怖くなくなる方法を教えちゃろか」
 私はガバと顔を上げた。
「何? いや、もう余計なことを言わないでよ。これ以上怖い話は聞きたくない」
 眉間にしわをよせながら両耳をふさいだ。
「恐怖に打ち勝つにはな、幽霊の正体を確かめることじゃ」
 それでもお構いなしに、彼は私の耳の近くに口をよせて言った。
「はあ?」
「都市伝説なんざ、その実たいしたことないってのが常じゃ。お前さん、自分で確認するがいいぜよ」
「どうやって」
 両手を耳から離して、胡散臭い気持ちで問い返した。
「そうじゃな。例えば、昼飯、一緒に食ってみるとか」
「ああ、それならなんとか……って! ちょっとちょっと!」
「なんじゃ、お前さん、それくらいの肝試しをする度胸もないんか? 柳の葉がゆれたくらいで『幽霊かも?』なんて恐れおののく学校生活でええんかの?」
「よくない!」
 私が即答すると、仁王くんは『よしよし』と笑って前を向き、のんびり椅子の背もたれに体を預けた。
 よくないけど……。
 仁王雅治の都市伝説、その恐怖の正体の真偽を確かめるはめになるなんて。
 幽霊なんて、いない。
 幽霊なんて、いない。
 怖ろしい都市伝説の正体なんて、実はいないよね?
 都市伝説の正体は、単なる変わり者のちょっとかっこいい男の子なだけだよね?
 祈るように見つめていると、仁王が振り返った。
「ああ、けど、都市伝説ってのは、その正体にちょいとくらい真実味があった方が刺激的で面白いじゃろ?」
「ないない! やっぱり都市伝説なんてウソだと思うよ、うん」
「さあ、それはどうじゃろな〜」
 笑いながら前を向く瞬間に見えた彼の横顔は、やっぱりきれいで。
 仁王雅治の都市伝説。
 ……確かに、ちょっとくらいは本当でもいいかも。
 なんて、心の片隅にちらついてしまったのは、私がすでに都市伝説に飲み込まれつつあるのかもしれない……!
 都市伝説……いや、仁王雅治、おそるべし!

(了)

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