●● Vanilla ●●
「あ、謙也、また同じクラスなんやねぇ」
笑いながら柔らかい口調で何気なく言って手を振るのは、。
言葉の通り、2年の時も俺と同じクラスだった女子だ。
「おう、せやな」
俺はそっけなくそれだけを言って、自分の席に着く。
も自分の席に行き、2年の時からのツレたちと楽しげに話していた。
それをちらりと見て、俺は椅子にもたれて軽くため息をつく。
には、どうにも普段の俺の調子で話すことが難しい。いや、普通に話すには話すが、の前で『俺らしさ』をうまく出すことができない。
理由はわかってる。
のヤツが、やけに大人びてやがるからだ。
は、見た目もそりゃちょっとオトナっぽくてキレイめな奴だけど、性格的にはさほどしっかりしてるわけじゃないし、成績も普通、クラスとの奴とも気さくに話す。決して話しにくい奴じゃない。
けど、あいつは絶対、絶対に!
俺のことをガキだと思ってやがる!
そういう雰囲気を、ヒシヒシと感じるんや!
そんなことを思うようになったきっかけは、去年のこと。
**************
2年で初めて同じクラスになったを見た時、ああ結構カワイイんちゃうコイツなんて思ったことを覚えてる。ほんで、クラスの委員会の担当一覧を作るのに、が俺に確認をしに来た時だった。
「……オシタリって読むんやねえ、最初、なんて読むんかわからんかったわ」
の持ってきた用紙に俺が担当の委員と名前を書くと、そんな一言と笑顔。
名前のことでそう言われるのは珍しいことではない。
「ああ、せやねん。オシタリってちょと変わっとるやろ。言い慣れんやろから、別に『謙也』でもええねんで。俺、そっちの方が呼ばれ慣れとるし」
俺は彼女の表情を伺いながら、そんな風に言ってみた。
すると彼女はくくっと笑う。
「そうなんや、謙也くん、な。うん、そっちの方が言いやすいわ」
はさらりとそう言って、おおきに、と用紙を受け取った。
『え〜、いきなり名前で呼ぶん〜、ないわ〜』なんて、嬉しそうにしつつも抗議するポーズをとってみたり、
『えっ、謙也くんって、名前で呼ぶん……?』なんて、恥ずかしそうにしてみたり。
普通、たいして親しくもない女子の反応っていうのは、大概がこんなもの。
俺はそういうものを想定していたから、のそんなさらりとした対応が少し意外だった。
え、こいつ、こういうん慣れとるんか、みたいな。
そんなんが、最初の印象。
で、次がな。
俺が、教室でクラスの女子たちとワイワイやっていた時。
なあなあ、謙也くん、次のテニス部の試合いつなん〜? なんてな、放課後の教室で話しとったんや。
ま、正直なとこ、俺はモテる。
女から、モテる。
白石と比べるとどうかって?
ああ、まあ、それはそうやな、ええと、俺と白石は芸風がちゃうからな、いろいろアレやけど、まあとにかく、俺かてかなりモテるんや。
だから、俺の試合を見に来たいなんていう女子たちと、試合の日程の話をしていた時。
俺とそんな話をしていた女子の一人がのツレだったようで、『もう帰るよ〜』と、が声をかけに来た。
俺はホラ、スピードスターやろ?
そんなもん、考える間もなく言葉が出るわけや。
「おう、。次の週末な、テニス部の試合やねん。自分も観にけぇへんか?」
ってな。
すると、は愛想のいい笑顔で俺をじっと見上げて、少し考える様子。
「次の週末……? ああ、そん時はちょっと約束があんねんなぁ……」
なんて言う。
「なんや、デートかいな」
すぐさま、俺の返し。
「うん、そう」
の返しも早くて、俺は一瞬言葉につまった。
だって、普通こういう場合女子って、『えー、そんなんちゃうよ〜』とか言うもんやろ? 少なくとも、今までの俺の経験では!
しかも、なんやコイツ、男おったんか!!
「え? ああ、そうなんや、そりゃアカンわな。なんや、男とどっか行くんかいな」
いつもの俺らしくない、まったくうまくもないリアクション。
あー、いらんこと言うたな、と思ってもは穏やかに笑ったまま。
「ううん、別にどっこも行かへんよ。家で一緒に宿題やって、そのままだらだらするくらいやなあ」
なんでもないように言う。
は、本当になんでもないように言うのだ。
けど、俺はカッと一瞬胸が熱くなる。
男と二人で部屋でだらだら一日過ごすて!?
二人っきりで、何すんねん!
意識して考えようとしたわけでもないのに、と二人きりで過ごす想像なんかをして落ち着かない俺を尻目に、はツレの女と何か話していた(確か、帰りに寄るケーキ屋か何かの話だ)。
俺は、なんだかその落ち着かないリアクションのままでいることがシャクで、一言返した。
「家でだらだらかいな〜、暇やねんな〜」
なんてな。
はツレから俺に視線を戻して、またおかしそうに笑った。
「まあ、せやねえ。でもそういうんも結構ええよ。謙也はあちこち出かけるんが好きそうやけど、たまには彼女とそうやって過ごしてみぃ」
俺は何も返せなかった。
俺はモテるけど、それでもなんやかやで彼女がいたことはなかったし。
言葉につまった俺を見て、または笑った。
いつもの笑顔だけど、俺は。
の顔に、『あ、さては謙也って彼女もいてへんし、どうせ童貞なんやろ』って書いてあるような気がした。
いや、絶対そう思ってたに違いないっちゅー話や!
そんなことがあったすぐ後に、はキタの学校のヤツとつきあってるっていう噂を聞いた。
そういうのがの印象で、そしてその印象がその後の俺にずっとつきまとう。
つまり、なんて言うか。
俺は、ちょいとバカ言って女子とも男子ともワイワイやるのが芸風だから、いつだってそうやってきたけれど、の前では『こんなこと言うと、またガキやと思われるんちゃうか』とか『モテモテを気取っとるけど、実は彼女おらへんのバレるんちゃうか』とか、そんな風に思ってしまう。
いや、そう思われたかて、だからどうやねんって話やけど、とにかく俺はの前ではいつもそんな風で、つとめてオトナっぽくクールにって思っては、多分から回ってたと思う。
そして、最近で一番印象深かった出来事は、今年のバレンタインデー。
つまり、2年生も終わりの頃の話や。
授業を終えて、部活に行く準備をしていた自分の机。
俺は当然チョコを沢山もらっていて、これみよがしに机に出して、それをゆっくりとバッグに仕舞っていた。その時はの席が近くて、の方を見ると、奴はキットカットのお徳用の袋を開けてツレたちと食いまくっているのだった。
俺がチョコをひとつひとつゆっくりとバッグに仕舞っていると、やっとが俺の方を見た。
「あ、謙也、やっぱり沢山もらってるんやねえ。モッテモテやな!」
そんなことを言う。
「当たり前やろ」
俺が言うと、はキットカットを袋ごと俺によこした。
「謙也も食べへん? 好きなだけ取りぃや」
話しかける時にちょっと首を傾けるクセは前からで、そうすると髪が揺れて耳が見える。キットカットの袋を持つ手の指は長くて、こいつがキレイな手をしてることを俺は前から気づいてた。
「おう、もらうわ」
がさっと手をつっこんで、三つほど掴み取った。
その場でパッケージを開けて、むしゃむしゃと口に入れる。
そういえばこの日、チョコをもらうだけもらっていながら実際に食べるのは今が初めてだ。やっぱりキットカットは美味いっちゅー話や。
「キットカットのお得用て、自分、えらい安上がりなバレンタインやんけ。本命のんはさぞ金かけてるんやろな」
俺はまた言わんでもいいようなガキくさいことを言ってしまう。言ってから、シマッタと思うけどスピードスターはそれが止められないのだ。
「ああ、本命? 今はそんなんないわ〜」
そして、またもやの返しもあっさりと早かった。
彼女は俺の机の上のキットカットの空袋をさっと手にして、自分たちが用意しているゴミ袋に入れた。
俺は、この時もまた、になんて返したらいいのかわからなくて、『なんや、お前らわびしいバレンタインやな、まゴチソーサン』くらいに言って、さっさと教室を出たんだったと思う。よく覚えていない。
そして、がつきあっていた男とクリスマスのあたりに別れてたらしいと聞いたのも、その少し後。
そんなことがあって、そして、3年生に進級した今に至るのだ。
******************
2年生の頃に比べれば、俺は格段に背も伸びたしテニス部での活躍も甚だしい。女子からのモテ具合もうなぎのぼりだ。
俺は正直、女子からモテることに悪い気がしない。
だって、俺自身が肯定されているわけだから。
俺のことがイイっていう女の子のまなざしは好きだし、チヤホヤされるのはキライじゃない。だからといって、そういうコたちとつきあうかどうかっていうと、また話は別なわけだけど。
俺はこの1年で、より女子たちからモテモテになった。
教室の自分の席で、頬杖をつくフリをして、を見た。
は、去年よりずっとキレイになったと思う。
けど、男と別れたって? ハハ、ぜんぜんアカンやんか。
そうは思ってみるけれど、単に女の子たちからチヤホヤされてウキウキしてるだけの俺よりも、好きな男とつきあってそれで別れたっていう一通りをしたの方が、やっぱりオトナなんだろうなと思わざるを得ない。だから、どうだというわけじゃないのだけど。
どうして、俺はこんなにを見るとイライラするんだ。
どうして、からガキ扱いされてるって思うと腹が立つんだ。
昼休みの終わりがけだった。
購買でパンを買って、たまたまそこで会った金ちゃんと校庭でパンを食って、それで教室に戻る途中。
理科準備室に入っていくが目に入った。
俺は察しはいい方だから、ああ、は今日は日直やったし授業の準備物品取りに行くんやなと思って、そしてもう一人の日直の倉橋が一緒じゃなかったことにも気づいた。
「おう、」
準備室の扉のところから中に声をかけた。
「あ、謙也」
「授業の準備やろ? 一人でやってるんか? 倉橋はどうしたん」
俺が言うと、は苦笑い。
「なんかな、外に他の男子たちと遊びに行って、まだ戻ってけぇへんねん」
「物品、一人で運ぶんか?」
「うん、まあそんなに量ないやろしええかなって」
俺は軽くため息をついて、準備室の中に入った。
「手伝うたるわ。何がいるん?」
俺が言うと、はぱあっと嬉しそうに笑う。
は、キレイな顔をしているけど笑う時は思い切り口をあけてそして目を細めて笑う。気取った笑いじゃなくて、その大きな目がきゅっと細まるところが、俺は結構好きだった。
「まじで? 助かるわー。持って行くんはええけど、高いとこのんがな、取りにくいなあ思てたところやねん。ほら、あの模型の箱、取ってもろてええ?」
俺はが指示をした通りの木箱を手にした。
軽く背伸びをしてそれを取ってから、ちらりとを見ると彼女はじっと俺を見上げている。
俺が、その模型の箱を取り出す首尾を見守るように。
「謙也ってこういうのん、よぉ気ぃつくし、優しいよなあ。女の子たちからモテるんもわかるわ。実際かっこええし」
の俺に対するこういった言葉は、珍しくない。
けど、いつも他人ごと。
その大きな目はじっと俺の手元と俺の顔を見比べて、意味もないのに、俺につられるように自分まで軽く背伸びをしている。
小柄な彼女が、ほんの少し俺に近づいていた。
誰もいない理科準備室で。
俺が、と二人でおって、柄にもなく緊張してドキドキしとるなんて、コイツは考えもせぇへんのやろな。
そう思うと、少し腹が立った。
理科の生物で使う模型の箱を手にしたまま、俺は背伸びをしたの顔に自分のそれを近づけた。
唇をくっつけてみる。
その柔らかさと、の髪の香りにびっくりしたけれどそんなそぶりは見せられない。
は目を開けたまま。
すぐに離れた俺から、は模型の箱を奪い取った。
「なに、謙也、びっくりするやんか」
そして、おおきに、と笑って理科準備室を出て行った。
それだけ。
その後姿を見送って、俺は軽く保管庫を蹴飛ばした。
なんや、ああいうん、やっぱり舌を入れたった方がよかったんか?
けど、しゃーないやんけ。
あんなん、やったことないんやし、やり方わからんわ。
毒づいても、後の祭り。
その後、とりあえず俺の見る限りの様子は変わらない。
そりゃそうだろうな。
俺のあんな小細工、ガキが手足をばたばたさせてるようなモンやろ、にとっちゃ。俺がガキなんだって、にダメ押ししたようなモンだ。
「謙也ー!」
午後の理科の授業の後、準備室から戻ったが廊下から俺を呼んだ。
「おう、何や」
俺は少しドキリとして廊下の方を向く。
「謙也に用事って、2年の女子が来てるでー。こっち来たってぇな」
なんでもないように笑って言うを、俺は軽く睨んだ。
ま、睨んでも、この距離やったらわからんやろうけど。
「……おう、わかったわかった」
席を立って教室の出入り口に向かう俺と、がすれ違う。
あの時に覚えたの髪の匂いが俺の鼻をくすぐる。
くそ。
次の試合の日程について聞きにきた2年生の女子に、俺がいつものように愛想よく親切に対応できたかどうか、よく覚えていない。
普段だったら『そんな試合の日程なんか2年やったら財前にでも聞いたらええもんやのに、わざわざウチのクラスに来るってコトはマジで俺狙いか、もしくは白石狙いやな、ちゅーことは……』とか、いろいろ頭が働くはずなのに。
その日はコート整備があるちゅうことで部活が休みで、俺は一人でぶらぶらと家へ帰りかけていた。部の奴らでどっかで何か食っていかへんか、なんて白石に誘われたけど、そんな気分じゃなかったから。
とは言うものの、いつもは部活で遅くまで体を動かして、そしてちょいと買い食いをして帰るなんてのが習慣なものだから、こう何もせずにまっすぐ帰ることがひどく物足りなくて、俺はふらりと学校から一番近いコンビニに寄った。
この店はコンビニ言うても地元商店で、学校でも寄り道すんのが公認の店のひとつだ。
今日はもう、暑いと言ってもいいくらいの日だ、そうだアイスでも食おう。こんなシケた気分の日は、そうやな、豪勢にダッツでもいてもうたろか。
そんな気分で、いつもは店に入ったすぐの冷凍ケースに飛びつく俺が、一番奥のケースまで行ってハーゲンダッツのバニラアイスを手にとってレジに向かおうとする時。
レジの近くで目に入ったのは。
ここはウチの学校の奴が多いから、がいることは別に驚くことじゃない。
けど、俺が一瞬足を止めたのは、の雰囲気がいつもと違ったから。
いつも余裕でオトナで、落ち着いているはずのがひどく硬かった。
その、の視線の先を見る。
がいる隣のレジに、男がいた。
見慣れない制服の男と、隣には四天宝寺の制服の女子。
は硬い苦笑いをして、男と一言二言会話をしている。
俺はスピードスターだ。
察しはいいっちゅー話や。
「おう、! 待たせてもぉたな、悪ぃ悪ぃ、これ、俺がおごったるわ」
俺はレジに走ると、が手にしていたペットボトルの紅茶と俺のダッツを一緒にレジに出した。
が目を丸くして俺を見ているのがわかるけど、俺は動じない。
「413円です」
レジのおばちゃんが言うより早く500円硬貨を出して、お釣りと商品の入った袋を受け取る。
「ほな、いこか」
俺はの手を引っ張った。
「あ、うん……」
はそう言って、そして振り返ってさっきの男に軽く頭を下げると、俺に引っ張られるまま店を出た。
この店で食いモンを買うたら、すぐ近くの公園のベンチで食うのが常だ。
俺とは当然のようにその公園のベンチに並んで座る。
コンビニの袋から、の紅茶を出して差し出した。
「……びっくりした。どないしたん?」
それを受け取りながら、はゆっくりと言った。いつもの落ち着いた様子とは少し違った。
俺はを睨みつけた。
「どないしたんて……自分、困っとったやろ」
さっきの男、多分、の別れた相手や。
俺の直感はそう言っていた。
「……あ、うん……ちょとね。うん、おおきにな、謙也」
いつもは淀みなく話すが、ひとつひとつ言葉を選ぶように言う。
ペットボトルのふたを開けて、一口紅茶を飲んだ。
俺は黙ったまま。
その沈黙で、の言葉を促すつもりだったわけではないけれど、はゆっくりと話し始めた。
「さっきのんな、別れた彼やねん。一緒におった子ぉ、見てわかったと思うけど、ウチの学校の子のな、2年の子やねん。うちとこの辺で待ち合わせたりする時に会うて、なんや、仲ようなったんやって。まあ、そんでうちがフラれたんやけど……」
いつものように穏やかに笑うけど、ちょっと力がない。いつもの、力いっぱいの笑顔じゃなかった。それでも、そんな顔をするもやっぱりキレイだなと、こんな時だというのに俺は思ってしまった。
「ま、もう終わったことやからどうでもええんやけど、ほら、ああやって突然に顔合わせてまうと、ちょとびびるやん。謙也が連れ出してくれて、よかった。おおきにな」
そして、また礼を言う。
「謙也の、ああいうよく気ぃつくとこって、ええよね。さすがやわ」
俺は自分がダッツを手に持ったままだったことに気づいて、慌ててフタをあけた。
ほどよく溶けて、ちょうど食べ時だ。
「なんや、自分、フラれたんかいな。ショボいな〜」
そんな言葉しか出なくて、ばくばくとダッツをほおばった。
冷たくて甘いバニラの香りが鼻に抜ける。やっぱりダッツは美味いな。
へへ、とは笑う。
こんな突然の出来事があると、今日のあの理科準備室のことはまるではるか昔のことのようで、もうは忘れてしまっているのかもしれないな、なんて思った。
忘れてほしいのか、忘れてほしくないのか?
俺は、なんだかわからなくなってしまった。
もくもくとアイスを食らう。
「自分、いつもしれ〜っとしとるやん。困っとったら、すぐに助けてって言うたらええのに」
今は自分にアドバンテージがあるという気分なのか、俺は思ったことをそのまま言った。はちょっと驚いた顔で俺を見る。
「うん、そうやね……」
俺の言いたいこと、わかっとるんかいな。
「ま、そうやけどね……それにしても、謙也、美味しそうにアイス食べるんやねえ。そんなにアイス好きやったん?」
まるで話をそらすように言う。
チ、と俺は舌打ち。
「まだ残っとるで。ちょと食うか?」
俺は残ったダッツをスプーンですくってに差し出した。
これまたのびっくり顔。でも、すぐにはおかしそうに笑って、俺の差し出したスプーンに口をよせ、アイスを口に入れた。
「ん、おおきに、やっぱダッツはおいしいなあ」
唇をもぐもぐと動かしながら、嬉しそうに言うの笑顔をじっくり眺めているような時間は俺にはない。
なんせ、浪速のスピードスターやっちゅー話や、俺は。
「やっぱヤメや。そのダッツ、返してくれ」
そう言うと、俺はの肩をつかんで、彼女の唇に自分のそれを寄せた。
舌を差し入れる。
捉えたの熱い舌は、濃厚なバニラの香りでトロトロに甘くて、頭の芯がしびれそうだった。
やり方なんてわからない。
けど、とにかく俺は甘い甘いの舌から離れることができなくて、しばらく掻き回してから、息が苦しくなった頃にようやく体を離した。
が目を閉じていたのか開いていたのか、それすらもわからない。
とりあえず今のは、大きく見開いた目でじっと俺を見ていた。
何て言おう。
にガキだと思われない、気の利いた一言を一生懸命探す。
が、俺が何かを言う前に、が口を開いた。
「……なあ、謙也。謙也は、うちには、こういうコトしてもええと思てるん? どうせ初めてとちゃうやろし、ええやろって思てるん?」
俺はが言っている言葉の意味が一瞬わからなくて、きょとんと黙ったまま。
「今日の準備室でのことも、それでなん? あの時はびっくりしたけど、ああ謙也ってこういうノリなんかなあって思て、いちいち何か言うんも、ノリ悪いかな思ったんやけど……」
「ちょ、ちょお待てや!」
俺はつい叫んでしまう。
「何やねん、こういうノリって! 俺、別にしょっちゅうああいうコトしてるんとちゃうし、そもそも初めてやしやな! 何でそないなコト言うんや!」
俺はカッとして言うけれど、も眉間に軽くしわをよせたまま。
「何でって! だって、こっちかて、何でこないなことするんって、思うやん……」
はそう言ってうつむいた。
「何でって……」
俺は一生懸命言葉を探すけれど、見つからない。
だけど、ここは急ぐべきところなんだということだけはわかる。
「何でって、つまり、あんな男はもうええやろって……。俺にしとけばええやん……」
ああクソ、かっこわるい!
どうしてもっとちゃんとした台詞が言えないんだろう、確かに俺はガキだ。
は顔を上げて、俺をじっと睨んだ。
「だったら……!」
大きく深呼吸。
「キスするよりも、好き、とかが先ちゃうの? こんなん、うちかてわからんくなるし、びっくりするやんか……」
困ったような、泣きそうな顔をする。
泣きそうな、ただの中三の女子や。
そんな彼女を、俺はじっと見た。
何や……。
何や、フツーでよかったんか!
俺、何を今まで、勝手にを自分よりずっとオトナやと思って、かっこつけようとして、上手いことを言おうとしてたんやろ。
それでも俺はなかなか言葉が出なくて、すると、はペットボトルを手にしてベンチから立ち上がろうとする。
「ちょ、ちょお待てや!」
ぎゅう、との手をつかんだ。
好きや、好きなんやで。
それだけのことなんやけど。
それはそれでなかなか言えなくて、俺はしっかりとつかまえたの前で口をぱくぱくさせるばかり。
バニラの甘い香りが口の中に残っていて、まだ俺をふわふわとさせている。
(了)
2010.3.22
