●● ウィルス --- (5)取り押さえられる ●●
そもそも、いきなり舌を入れてきたくせに、それが初めてのキスだっていけしゃーしゃーと! 私だって初めてだってのに、あれはいただけない!
幸村のけしからん行為を、なるべくさらっと自分の中で消化させようと、私は内心いろんな角度からツッコミを入れてみる。
けど、その効果はさほど芳しくなくて、私はあの時の幸村を思い出しては、妙な気持ちになる。
ちなみにバレンタインデーの日、幸村は突然学校に来たにもかかわらず、女子たちから沢山のチョコをもらって帰ったらしい。
さすが、転んでもタダじゃ起きない男。
「しばらくは副部長の弦一郎が、部長代行でテニス部を引っ張って行くことになる」
「そうだ、幸村が戻るまで、俺たちは無敗で進んでいくことを誓ったのだからな、皆、心して励めよ!」
テニス部の部室では、熱い言葉を口にしながら、真田と柳はコンビニの袋に大根と白菜をつめていた。この冬最後の収穫分を、真田に部室まで運ばせたのだ。
「おっ、
、これももらっていっていいか?」
実は真田経由でバイオ部の野菜愛好家だったらしいジャッカルが、熱心に小松菜も袋につめていた。
泥汚れが嫌いらしい柳生くんは、そんな三人を遠巻きに見つめている。仁王と、あと二年の切原くんは野菜になど一切興味ないようだった。
「いつもサンキューな、
。助かるぜ」
美味しかったとかではなく、『助かる』などというえらく所帯染みた言葉に、つい目頭が熱くなる。ジャッカル、いくらでも持って行ってよ。
さて、実験場が一段落して次の植え付けが済んだら、しばし改良中の肥料の研究に集中だな、などと思っていると。
「時に、
」
柳が声を発した。
「お前、精市と何かあったのか?」
私は心臓が口から飛び出そうになる。
「は? 何かって?」
つとめて冷静に答えるけれど、この鋭い男の目はまともに見れない。
「いや、精市は……以前はよく花壇のことや
のことを、おもしろおかしく話していたものだが、入院以来ほとんどそういったことを口にしないと思ってな」
「へえ、そう」
私は何も言いようがない。ふーん、前はそんな風に私のこととか皆に話してたんだ。で、今は話さないんだ。ふーん。
「そういえば
、お前、去年幸村が倒れて入院する前に、花壇の世話をずる休みして、幸村に任せていただろう! 幸村のことだ、それを根に持っているのではないか!」
いきなり真田がドスの効いた声を出す。この男、しつこい! しかも根に持ってるとか、自分の友達に随分な言いよう!
「ずる休みって! 真田、しつこいよ! そもそも、トータルすれば私が幸村の花壇の世話をする率の方が断然多いんだから、たまに頼んだくらいでガタガタ言わないでよね!」
思わずクワっと真田に言い返すと、柳が思い出したようにああ、と頷く。
「そういえば部活がオフの日に、幸村に花壇の世話をさせておいて、
は同じクラスのイケメンと、横浜産貿ホールで人体の不思議展を見た後に山下公園で散歩・中華街で飲茶という黄金のパターンのデートをしていた、という出来事があったな」
や、柳! どうしてそこまで詳細を知ってる! なんて恐ろしい男!
「なんだと! お前は、人体の不思議展を見ただけだと言っていたではないか! 山下公園に中華街とは、なんと破廉恥な!」
真田がまた怒鳴る。雷親父か!
「なんで山下公園や中華街が破廉恥なのよ!」
「バイオ部は男女交際禁止なのだろう? お前はそんなことをして、バイオ部名誉顧問の幸村に申し訳ないと思わんのか!」
「男女交際禁止もバイオ部名誉顧問も、幸村が勝手に言ってるだけだよ、もー! 真田、ほんとにうるさい! そんなにしつこく言うなら、次に生えて来るなめこは、先生にあげることにする!」
つい私が怒鳴ると、真田は顔色を変えた。
「いや、それでは話が違う。あのなめこは次も俺にくれると言ったではないか!」
去年バイオ部顧問の先生が私にくれたなめこ栽培キットはかなり調子がよくて、次で2回目の収穫となる。最初の収穫分を何の気なしに真田に上げたら、予想以上の食いつきだったのだ。なんでも、なめこのみそ汁が好物だそうで。
ようやく真田が黙ったところで、柳が小さく笑う。
「そうだな、精市も神の子神の子と言われるが、やはり人の子。
の所行に、むっとしたのかもしれんな」
むっとしたくらいでやらかしたにしては、この前の屋上庭園の彼の所行こそ、破廉恥でけしからんと思うんですけどね。
なんて思って見て、だけど思い出して頭に浮かべたりしたら、それこそ目の前にいるデータマンに見透かされそうで、私はそそくさと部室を出て行った。
一年で一番寒い時期が過ぎて、春がやってくるのはあっという間だった。
私は三年生になった。
三年生になっても、幸村は学校を休んだまま。
今のところなんとか入院はしなくてすんでいるらしいけれど、やはりまだ学校に通うまでには回復していないらしい。
春になって、バイオ部の活動は忙しくなる。冬の間に研究・開発した肥料での土作りと、細胞のレベルから厳選して育てた苗を植え付けることに大忙しだ。
そんな忙しいバイオ部だけど、別に幸村の花壇の世話をすることはいつものことだから、さして負担だっていうわけじゃない。だから、幸村がいなくても、私の毎日は何も変わらないはずだ。
だけど。
幸村のブルーベリーに水をやりながら、私はすでに慣れっこになってしまった胸の違和感とすごしていた。
屋上庭園に来るたびに思い出すあの出来事。
最初は、思い出してしまうたび、それを頭から追いやろうと必死だった。
もちろん、今だって努力はしてる。
だけど、無駄な抵抗だっていうことがやっとわかってきた。
ここしばらく考えてみて、幸村は生物兵器をつかったのだという結論に達した。
あの時、私は幸村にウィルスを植え付けられたにちがいない。
幸村ウィルス。
だから、私があの時の幸村の熱を思い出したり、幸村のことを考えてしまったりするのは、私が悪いんじゃない。
私の中に、ウィルスが巣食ってるからなんだ。
そう、ウィルスのせい。
***********
新緑の季節、真田が部長の代行をしているテニス部は、当然ながら地区大会では快進撃を見せているらしい。
「へー、勝ってるんだ」
私が気のない感じでコメントすると、真田もフンと当然といった表情。
現在ではバイオ部の収穫要員という確固たる地位を築いている真田は、朝練前に熱心にさやえんどうとキャベツの収穫を手伝ってくれる。どうせテニス部に持って帰ってみんなでわける分なんだけど。意外と、農家の長男のようによく働く子である。
「そうだ、幸村が近々また入院するそうだ」
なんでもないように言う真田を、私はついぎょっとして睨みつけてしまう。
「えっ、入院!? 具合悪いの!?」
「いや、ひどく悪いというわけでもないらしい。改めて検査をして、治療の方向性を決めるのだそうだ」
「治療の方向性?」
「ああ。つまり、このまま薬物療法を続けるのか、それとも手術をすることでかなりの改善が得られる見込みがあるのか、ということを検討するそうだ」
そういえば、あの時屋上庭園で、手術をするかもしれないって言ってたっけ。
「手術……。ねえ、その手術って、かなり危険だったりするのかな?」
さやえんどうを袋につめる真田は、難しい顔をして私を見た。
「俺はわからん。それにしても、
。お前、幸村をそう心配するなら、たまには見舞いくらい行ったらどうだ」
出た出た、雷親父モードである。
「えー……」
私は言葉を濁すけど、真田にはそんなニュアンスは伝わらない。
「えー、じゃないだろう! 一度も見舞いに行かないなど、バイオ仲間として、薄情すぎるのではないか!?」
真田の怒鳴り声など、私はもう慣れたものである。
「だってさ」
「だってじゃない!」
いや、ちょっと話させろっていうの、このKYめ!
「だって、幸村、2月に一度学校来たでしょ? あの時、ちょっと話したんだけど、見舞いには来るなって言われたんだよね、私」
「うむ?」
真田は作業の手を止めて私を見た。
「見舞いに来るなと?」
「うん」
見舞いに来るなっていう言葉の意味を、未だ私は、わかるようなわからないような、納得できるようなできないような気持ちでいる。当の私がそんなんだから、真田にわかるわけがないけど、とにかく見舞いに行け行けってせっつかないで欲しい。
「そうか、幸村は
にそんなことを。あいつもお前にいろいろと根に持っているのかもしれんが、いつまでも仲違いしているのは、バイオ仲間として良くないだろう。いい加減仲直りをしろ。今度見舞いに行ったら、俺からも幸村に言っておいてやろう」
さすがにKYなリアクションだ。
「いや、真田、別にいいよ。幸村も男の子だから、きっと私みたいな素敵女子に弱ってるとこは見られたくないんだって」
「勝手な解釈をするな!」
「はいはい」
そんな真田を適当にあしらって部活に行かせると、私はブルーベリーの新葉についた虫退治に専念した。真田の相手をしている暇はないのである。
今年の夏はブルーベリー対決の山場なんだよ、幸村。
**************
今年の梅雨は雨が少ない。
というわけで、私は大忙し。
私と幸村のそれぞれのブルーベリーは、かなり調子良く結実している。けど、それが熟する前にしぼんでしまわないよう、必死に水をやらなければならない。あと、鳥に食べられてしまわないよう、ネットもかけた。
再入院をしたという幸村は、1週間程度で退院したらしい。なんでも、今回は検査入院だから早いのだ、と柳生くんの話。
手術をする方向で考えて行くのだそうですよ、と柳生くんは教えてくれた。
そうか、手術するんだ。
なるべく淡々とその情報を受け止めようとするけれど、やはりそうそう上手く行かない。
気温が上がるとともに、どんどん芽吹く草木と同様に、私の中のウィルスは猛威を振るっている。
そう、幸村ウィルス。
幸村が屋上庭園で私にしたことが、何度も思い浮かぶ。
そして、幸村が私に言った事。
最初で最後の女の子。
だけど、それは冗談なんだっけ。
そんなことを何度も繰り返し思い出すたび、私はどんどん悪くなる。
幸村ウィルスの重い重い症状が、体中に残ってる。
幸村が去ってどれだけ経っても、消えやしない。
************
幸村ウィルスに感染した私が、劇症化したのは7月に入ってからだった。
バイオ部の活動が最も忙しい時期だというのに。
「幸村が手術を受ける決心をしたらしい」
いつの間にやら部活帰りのテニス部のたまり場になってる校庭の花壇の前で、柳が言った。隣では二年生の切原くんがトマトをもいでかじった。
「ちょっと、切原くん! バイオ部の作物を勝手に食べないでよ!」
私はとりあえず無礼な二年生を叱り飛ばす。
「え〜、だってジャッカル先輩だって食ってるじゃないですか〜」
「ジャッカルと真田と柳には、バイオ手形を与えているから勝手に取ってもいいの」
言ってもちっとも堪える様子はない。幸村、ちゃんと後輩を教育しておいてよねえ。
「7月に半ばに手術のために改めて入院をして、月末に手術だ。ちょうど、俺たちの関東大会の決勝と同じ日なんだが」
手術、という柳の言葉は空耳ではなかったようだ。
彼は淡々と幸村の治療計画を述べた。
「……そうなんだ」
なんでもないように言う私だけれど、声が震えていないかどきどきした。
私は結局あのバレンタインデーの日から、幸村には会ってない。そして、電話もメールもしてない。私からもしないし、向こうからも来なかった。入院前は、毎日学校で顔を合わせながらも、花壇の様子をメールで聞いてきたりそんなやりとりがしょっちゅうだったのに。
真田と柳とジャッカルは、めいめいにきゅうりやピーマンやトマトをもいで行く。存分に収穫をした彼らと駅まで一緒に帰って、私は自分の携帯を取り出した。
前はメールの履歴は幸村からのものが必ずあった。内容といえば、『草取り頼む』とか『ナメクジよけの薬をよろしく』とか、そういったものばかりだったけど。
手術をするって?
だったら、幸村から直接、ひとことくらい言ってくれてもいいじゃない。
私だって、ちょっと電話すればいいのに。
具合どう? 手術するって聞いたけど、って。
そう思うけど、そう思うたびに、
『俺が入院していたり自宅療養をしていても、
は見舞いに来るな』
あの一言が蘇る。
いろいろ考えたけれど、やっぱり私にはわからない。
幸村はどうして、私にあんなことをして、あんな事を言って、そのあげく見舞いに来るなと。
結局のところ、私に手痛い仕打ちをしてみたかってこと?
見舞いに来させないのも、私のウィルスによる症状を悪化させるための作戦?
だとしたら、バイオハザード幸村は最強だ。
私の症状はどんどん悪くなる。
電話してみようか、メールしてみようかと思いながらすごしていると、幸村の入院日はあっという間にやってきた。テニス部の面々も、関東大会が近づいてきて忙しそうである。それ以上にバイオ部の私は忙しいのだけど。
一年の時に幸村に宣戦布告をされた、ブルーベリー。
私の分も幸村の分もわさわさと結実して、だんだん色づいてきた。
私の鉢の色づいたブルーベリーを一粒つまんで食べてみた。
なかなかに甘くてジューシー。
ウィルスに侵されてからこっち、なんだか冴えない私が育てた割には、なかなか健全な味。
「
なんだか、最近ちょっと元気ねーな」
幸村の分の鉢のブルーベリーの収穫を手伝わせている丸井がずけずけと言う。
ちなみに、このところブルーベリーに対しては鳥よりも要注意だと思われる彼を、『ジャムを作ったらわけてやるから、つまみ食いをするな』と釘を刺して、収穫係にすることに成功したのだ。ちなみに、初挑戦の苺はなかなかの出来だったようで、彼のバイオ部に対する評価はうなぎ上りなのである。
なお、私のブルーベリーと幸村のそれは、勝負事でもあるので、別々に分けてある。収穫したブルーベリーどうする? って幸村に聞こうかなあって思ったけど、ここまでくると私もなんだか意地で、なにも連絡をしなかった。収穫したブルーベリーは冷凍して、全部を収穫し終えた頃にジャムにすることに勝手に決めた。
「そう? 暑い中、バイオ部の活動をしてるから、疲れてるのかもね」
そう言いつつも、私はその原因は幸村のウィルスのせいだってわかってる。
うん、私が悪いんじゃない。
幸村のウィルスのせいで、うだうだと考え込んでしまうから。
「そうそう、今月末、関東大会の決勝なんだけどよ、たまには見に来ねえ?」
丸井は立ち上がってイタタと腰を伸ばしながら言った。
関東大会の決勝、そういえば幸村の手術日と同じだっけ。
「……行かない。夏は花壇と実験場の世話が忙しいもん」
「んだよ、つきあいわりーな。じゃあ、俺たちは試合で行けねーけど、幸村くん手術だし病院行ってやってくれよ」
「……行かない。幸村に、見舞いは来るなって言われてる」
「いつまでも真に受けんなよ、
もしつこいなー」
やれやれというように丸井は言って、あれほどつまみ食いするなと言ったのに、摘んだブルーベリーを口に放り込んだ。ま、幸村の分だし、いいか。
結局、私はこわいんだ。
見舞いに来るなって言われて、それなのに幸村に連絡してみて手ひどい目に合うことが。前はそんなの平気だったはずなのに、ウィルスに侵されてからの私は、どうにも弱ってる。きっと、幸村の一挙一動に今まで以上のダメージをくらうだろう。
そんなことがこわくて、『バイオ仲間』の幸村が手術だっていうのに一言も声をかけられない自分が、これまた嫌だった。
そんな、重い重い症状を抱えながら、関東大会決勝そして幸村の手術の日を迎えた。
学校の屋上で、もくもくとブルーベリーを収穫しながら。
私は、やっぱり幸村に会いたかったと思う。
顔を見たかったと思う。
この、幸村のいない約半年の間。
まったく、ブルーベリーや野菜や花たちは、こんなに毎日世話をしてやっと育つというのに、私の中の幸村ウィルスは半年ほったらかしにしてるだけでどんどん増殖して私を悪くするなんて、ほんと釈然としない。
収穫の手を止めて、伸びをして空を見上げた。
嫌になるほど天気がいい。きっと試合日和だ。手術は、どうだろう、手術日和なんてのがあるのかどうかはわからないけど、どんよりした日よりはいいような気がする。
***********
さて、大変なことが起こった。
収穫しては冷凍庫に貯蔵しておいたブルーベリー、当然私の分と幸村の分とをわけておいたのだが、なんとうちのお母さんがいっしょくたにしてジャムにしてしまったのだ。
2年越しの勝負、それぞれの実を別々にジャムにして、丸井あたりを審査員にしての決戦にしようと思っていたのに。
まあ、やっちまったものは仕方がない。
出来上がったジャムの一部を、さっそく丸井への謝礼として学校に持って行った、夏休みの8月。
ちなみに、7月末の幸村の手術は無事に終って、そして関東大会は決勝で真田が一年(!)に負けて敗退したらしい。
真田にしたら切腹ものだろうけれど、まあ全国大会で頑張ればいいじゃない、と勝負事にあまり興味のないバイオ部としては思う次第。
けど、敗退したことへの制裁として、自ら部員全員からのビンタをくらっていた真田を見ると、『ヘンタイ!』と思いつつも、ちょっと勝負の世界のシビアさに恐れ入った。
幸村、やっぱりテニス部は幸村がいないとダメみたいだよ。
そんなことを思いながら、屋上庭園の草むしりの手を休め、水筒の水を飲む。
携帯を取り出した。
真田は負けるし、あれだけ必死に勝負をかけていたブルーベリーは一緒くたに煮込まれちゃうし、なんだかいろんな事がばかばかしくておかしくなってきた。
幸村に電話してみようか。
まだ、入院中だろうから、携帯の電源なんか入れてないだろうなと思いながらも、なんだか幸村に電話をしてみたくなったのだ。
彼の番号を呼び出して発信すると、意外な事に呼び出し音。
そして。
私の背後で、携帯の着メロが流れる。
振り返ると、そこには幸村が立っていた。
あまりの事に私は言葉が出ない。
けど、幸村は勝ち誇ったように笑うばかり。
ちなみに、芥子色のテニス部のジャージを着て、いつものように上着を肩にひっかけている。
「何してんのよー!」
私の口をついて出たのはそんな言葉だった。
だって、ちょっと前に手術したばかりでしょ? なに、ジャージ着てんのよ!
「何って、関東大会決勝で敗退した情けない奴らの顔を見に来たんだよ。術後の経過も順調なんでね、今日は病院から許可を得ての外出」
そう言いながら、一歩ずつ私の方へ近づいて来る。
「ブルーベリーはどうだい?」
そして、久しぶりに会ってまず尋ねるのがそんなこと。
まあ、彼らしいけど。
「だいぶ収穫できたんだけど、幸村のと私のとせっかくわけて冷凍しておいたのに、うちのお母さんが一緒に煮込んでジャムにしちゃった」
丸井に渡そうと持ってきたジャムの瓶を見せる。
幸村はそれを見て、くすっと笑った。
「ああ、そうなんだ」
意外と気にしてないみたい。
幸村はゆっくり私の隣に腰を下ろした。
「それは置いといて、
。俺とお医者さんごっこをしないか?」
幸村の言葉に、私は思わずジャムの瓶を落としてしまう。幸村はそれを素早くキャッチした。
「久しぶりに会ったと思ったら、何を言い出すのよ!」
私は顔を熱くさせてしまう。多分、赤くなってたと思う。だって、お医者さんごっこってねえ、幸村!
「お医者さんごっこだって言ってるだろ、つまり、
がちょっと元気ないってテニス部の奴らが言ってたから、どんな調子か聞いてみようって思っただけじゃないか。もしかして、いやらしい事でも考えた?」
幸村はこれまた嬉しそうに笑って言うのだ。
あいかわらずだ。
私は黙って何も言わない。
彼はおかまいなしに続ける。
「
の症状っていうのは、つまり、こういう感じじゃないか。なんだか胸がキリキリして、普段何気ない時に、俺のことを思い出してしまう。ずっと顔も合わせてないのに、どうしてか俺のことで心を占められて、時には食欲もなくなる。俺の声が聞きたくて、それでも電話ができなくて、また胸が痛む」
エリート内科医みたいにすらすらと言う彼の前で、私は絶句する。
「原因はわかってる。俺のウィルスだ」
幸村はそう言いながら、キャッチしたジャムの瓶のフタを開けて、指でジャムをすくうとそれをぺろりと舐めとり、満足そうに微笑んだ。
「ちなみに、ウィルスを
の体から追い出すことはできない。俺のウィルスは消せやしないよ、もう手遅れだ。俺からうつされた熱は、体中をかけめぐるだろう」
不治の病の宣告をした幸村は、ジャムをすくった指で私の唇に触れた。
「症状を抑える方法は、ただ一つ」
そう言って、クリスマスローズの花のように笑った。
「このジャムみたいに、ウィルス本体である俺と溶け合うしかない」
まるで催眠術にかけられたみたいに動けない私の背中にそっと手をまわすと、あの時のように唇を重ねて来る。
甘い、ブルーベリージャムの味。
鳥肌が立つくらいクサい台詞にクサい振る舞いなのに、涙が出そうなのは、私が自分で思っていた以上にベタな人間だからなのかもしれない。
それに、インチキドクター幸村の処置は、的確に私の重い症状を抑えた。
幸村のジャージが地面にはらりと落ちる。
「……ひどいね、幸村は」
大きく息をついて、私は思った通りのことを言った。
「仕方ないだろう。倒れた時から、俺が治るにはしばらくかかるだろうとわかっていた。予定外だったんだよ。その間、
に悪い虫がつかないようにするには、
をウィルスに感染させて発病させるしかなかったんだ」
ひどく真剣な顔で言う幸村に、私はちょっとおかしくなる。
「今まで顔を合わせなかったのも、そのため?」
彼は頷いた。
「ブルーベリーも、今年の夏たっぷり味わうために、去年は花を摘んで結実させなかっただろう。それと同じだ」
人をブルーベリーと一緒にしないでよね、と言っても彼はまったく意に介す様子はない。
にはもう少し治療を続けることが必要だ、なんて破廉恥なことを言う。
けど、この破廉恥で高貴な王様のジャージの下には、一人で戦っていた傷跡があることを、私は知っている。
次の戦いは一人じゃなくて、皆と一緒。
それは見に行ってみようかな。
一人の戦いは私には見せてくれなかった幸村も、それくらいは許してくれるだろう。
ジャムの瓶を下に置いた幸村は、インフォームドコンセントの通り、もう一度私にキスをした。
私は目を閉じて、その治療を受け入れる。
私の体に巣食ったウィルスは、その熱を保ちながら、徐々に私の体の一部になる。そんな感覚。
唇を離して『気持ちがいいだろう』なんて笑いながら言う幸村を、破廉恥な奴め、と思いつつ私も笑った。
そんな笑顔を見ながら、和歌山のみかん畑でたたずむ幸村を想像してしまったのは、まだ、内緒。
(了)
「ウィルス」
2009.6.6
<タイトル引用&参考>
ウィルス(作詞・作曲:忌野清志郎、三宅伸治)
