ノートの落書き



「ねえ、ジャッカル! お願い、吹き矢を作って、その先っぽに人が死なない程度の麻酔薬を塗ってくれない?」

 2時間目の後の休みに、私は必死に隣の隣のジャッカルのクラスまで走った。
「吹き矢ぁ? ンなもんどうすんだよ?」
 当然ながら、呆れた顔で言う彼。
「……ある人物を眠らせて、その隙に奪い取りたいものがあって……」
 息を切らせ、あわてて言う私に、ジャッカルはちゃんとつきあってくれる。去年同じクラスだったから友達なんだけど、結構いいやつなんだ。
「穏やかじゃねぇなあ。ある人物って誰だよ」
「……柳蓮二」
 私が小声で言うと、ジャッカルは眉間にしわをよせる。
「参謀か、そいつぁ厳しいんじゃねーか。お前、一体何したんだよ」
「……さっきの授業が社会科だったんだけど、課題のノートが回収されて……。柳、班長だからさ、彼に回収されたの……」
 両手で顔を覆って嘆く私の、ただならぬ雰囲気を感じたのか、ジャッカルも困ったようにおたおたする。
「ちゃんと提出したんならいいじゃねーか」
「ううん、その……だって、私、字が下手でさ……。社会の課題、テキトーにやっちゃってすごく字が雑だから……」
「けど、見るのは先生で参謀じゃねーんだから、平気だろ」
 私はガバ! と顔を上げた。ジャッカル、わかってない!
「検印するのは班長だもん!」
 急に吹き矢なんて言っても、材料ねーし、などとジャッカルはあれこれ言う。
「吹き矢が無理なら、柳を締めて落として、気絶させて! ジャッカルが!」
「俺かよ!」
 さんざんジャッカルを責めるけれど、ノートを取り戻したい理由は実は彼にも話せない。
 さっき提出した社会のノート。
 社会の授業なんて、眠たいことこの上ないじゃない。
 そんな授業中、私は眠気覚ましに、ノートのすみっこに落書きをしてた。
 柳蓮二という名前を書いてみて、そして、柳という名字に続けて、私の名前を。
 結構、合うんじゃない? いい感じ。
 なんて思いながら、私はそれを消しゴムで消した、と、思う……。
 思うんだけど、授業が終った私の机の上に消しゴムのカスはなかったし、とにかく授業中は眠たくて記憶があいまいだ。
 はっとして、回収された後、「柳! そのノート、まだ課題がちょっと途中だから一回返して!」と言ってみたけど、「時間制限はみな平等だ」などと固い事を言って、返してくれない。
 それで、私はジャッカルのもとに走ったというわけ。
 けれど、何ら助けは得られず、私は3時間目の授業が始まる前にすごすごと教室に戻った。

 自分の席に戻ると、私の机にノートが置いてある。
 あわてて手にとって、くだんのページを確認した。
 私が落書きをしたページ。
 そこには私の眠たくて死にそうになって書いた文字が残っていた。
 柳っていう文字に続いて、私の名前……。
 やっぱり、消してなかった……。
 あわてて証拠隠滅、と思ってペンケースから消しゴムを出そうとすると、聞き慣れた落ち着いた声。
「おい」
 びくんとして振り返ると、そこに柳蓮二。
「あ……、あ、課題のノート……」
 何気なく言ったつもりなのに、声がかすれてる。
「もう、返ってきたの?」
 そんなはずはないとわかりながら、私はそれだけを言う。
 柳蓮二は、ふふ、と余裕たっぷりのかすかな笑顔。
 落書きをしたページをあわてて閉じようとする私の手を、驚くほどの素早さで、彼は押さえた。そう、私の手を!
 柳の右手の小指の右端に、私の書いたよれよれな字が踊ってる。
「もう少し……」
 そんな彼の声を聞きながら、私は自分の手をずらしてなんとかそれを隠そうとするけれど、穏やかな顔をしながら、柳の力は強い。
 私は、逃げ出してしまいたい。
「字を、練習した方がいい」
 ふ、と彼の手の力が緩まった。
 と思ったら、その手が私の右手を、今度はやさしく覆った。
「柳、という字を、もう少し練習した方がいい。教えてやろうか?」
 胸の奥が渦巻いて目が回りそうな私は、なんて返事をしたらいいのかわからなくて、子供の頃お習字の先生に手を包まれながら字を書いたことが頭に巡った。

2.19.2012




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