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● 弱い僕だから  ●

 授業の合間の休み時間に机にお尻をのっけて楽しそうに笑っている彼を、クラスメイトの肩越しに私は見つめた。
 まだ二時間目が終わったところだというのに、彼は家から持参してきたのか菓子パンをほおばっている。確か、あれはふたつ目のパンだ。
 彼は同じクラスの桃城武くん。
 テニス部で、2年生なのにレギュラー選手になるようなちょっと目立つ子。それでいて誰に対しても気さくで、クラスのムードメーカーだ。
 といっても、私はろくに話したことはないけれど。
 私は桃城武くんとは話したことはない。
 桃城武くんとは……。

、どうしたの? ぼーっとしちゃって! 昨日も早退してたし、具合悪い?」
 友達に話しかけられて、私はハッと目の焦点を近くに戻す。
「……え? あ、大丈夫、なんでもないよ。ほら、眼鏡こわれちゃって、いつものじゃないからちょっと見えにくくてさ」
 私はあわてて笑顔を作った。
「そう? ならいいけど。が早退なんて珍しいから、昨日みんな心配したしー」
「ごめーん、ちょっとお腹イタくなっちゃってさ。帰って寝たら、治ったし大丈夫」
「ヤダ、お腹痛いんじゃ、今日帰りにジェラートの店どうする? 今日までの割引のクーポンもらったから、寄ってこうよって話してたんだけど」
 私は苦笑い。
 お腹イタいなんて嘘だしみんなでわいわいジェラート行きたいのと、そういう気分になれないのと、半分半分。
「うーん、今度にしとく。割引のは今日みんなで行って来て。何が美味しかったか教えてね」
「わかった! 何味がオススメか研究しとくね」
 私はトイレに行くためにタオルハンカチを持って廊下に出て、軽いため息。
 私をジェラートどころじゃなくさせているのは、心の中の嵐。
 廊下をトイレに向かっていると、反対側からやってくる寄り添った二人。
 私の胸の奥に、指先の小さなさかむけみたいなチクンとした痛みが走る。
 私が好きだった男の子と、その彼とつきあうようになった彼女。
 二人ともクラスメイトだ。
 二人がつきあようになったんだって気付いたのが、昨日のこと。
 情けないことに、それが私の早退の原因なんだけど。
 廊下の窓側を歩いている二人は、ちょうど太陽の光をあびてキラキラ輝いていた。
 かっこいい彼に、明るくて可愛い子だもん。
 私はまた軽くため息。
 だけど、不思議。
 昨日、学校をサボってしまったような激しい痛みは、二人を見ていても私の中にはもうどこにもなかった。
 廊下の、窓の開いたところから気持ちのいい風が入っていたので、私はふと立ち止まり外を眺めた。
 夏が、力を溜めて出番を待ってるみたいな、そんな空気。
 ふと眼鏡を外してみる。
 視力の悪い私は、裸眼で外を見ると、全てが溶けあったようなふんわりした景色になる。
「……カルロス」
 自分にしか聴こえない声で、つぶやいた。

「おうっ、どうしたこんなとこで。授業始まるぞ!」

 心臓が止まりそうになった。
 振り返りざま、私の手から、外した眼鏡が落ちてしまう。
 だって、その声の主はまさに私の心の中の嵐の原因だったから。
「おーっと!」
 突然に私に声をかけた彼がかがんで、眼鏡をキャッチ。
 ほい、と手渡されたそれを受け取ってあわてて眼鏡をかける。
「大事なモン落としちゃいけねーよ、いけねーな」
 さっきまで教室で菓子パンを食べてた、桃城武くん。
 お礼のひとつも言わず、彼がどんな表情をしてるのか見ることもなく、私は教室に向かって走った。
 結局、トイレも行かずに。

 昼休みを目前にした最後の授業は社会科で、おそらく誰しも早く終われと願う科目と時間帯のひとつ。
 先生の話す内容は、まるで頭に入らないまま流れていく。
 私の頭の中は、昨日の出来事を何度もリピートしていた。
 そう、昨日の出来事は、まるで鮮明な夢みたい。
 私より三つ前の席の桃城くんの後姿を見る。
 ウトウトしているのか、頭がゆれていた。整髪料できっちり立てた髪、大きな背中。
 昨日、失恋をして、眼鏡をなくして、そして登った木からは降りられなくなるという、人生最悪の瞬間を迎えていた私を助けてくれた、通りすがりのヒーロー、カルロス・サンダー。
 バカみたいかもしれないけど、昨日、好きだった男の子に彼女ができたっていう事実を認識して、私はこの世から消えてしまいたいような気持ちになってた。
 そんな気持ちから、カルロス・サンダーがいとも簡単に救い出してくれたのだ。
 そのヒーローの正体はクラスメイトの桃城武くんだっていう私の推理・仮説は、多分かなりの確率で的中してるはず。
 揺れの振幅がどんどん大きくなる桃城くんの後頭部を見つめながら、私の頭の中では昨日の出来事の再生が進んでいった。
 私が朝、家を出る時の決心はただひとつ。
 桃城くんに会ったら、「昨日はありがとう」って、ちゃんと言おうと思ってた。
 昨日、カルロス……桃城くんに会ってなかったら私、どうなってたかわからない。
 好きな男の子に、何も言えないまま片思いが終わった私だけど、カルロスにはちゃんとお礼が言いたい。それくらいの勇気は、私にもあるんだって信じたい。
 今朝は、そう思ってたんだけど……。
 朝、教室にやってきた桃城くんを一目見た瞬間、私は目を合わせることもできなかった。
 それから、あいさつすらできないまますぎて、そしてさっきの廊下での決定打。
 どうして私ってこうなんだろう。

、お弁当だよね?」
 昼休みになって、いつも一緒にお昼を食べる友達がお弁当袋を持って集まる。
 たいがい私の席の周りに机を集めてみんなで食べるの。
 机をくっつけようとして、すぐ隣のグループに桃城くんがいるのに気付いた。
 そういえば、隣の席の男子たちと桃城くんはよくお昼を食べてたような気がする。
 私はガタンと立ち上がった。
「今日は天気いいし、久しぶりに外に持っていって食べない?」
 そう言うと、みんな『いーね』と乗り気で、ハンカチや飲み物を手にし、教室を後にした。
 外は日差しも風も気持ちがよかった。中庭のベンチを確保できて、ベンチを向かい合わせてみんなでわいわいとお弁当を広げた。
 友達とおしゃべりをしてゴハンを食べるのって、やっぱりイイ。
 すごく自分の気持ちの均衡が保たれて、そして心がホカホカする。
 そうやって、自分の楽しい日常をかみ締めると、一方でカルロスと自転車の二人乗りをしたことが、どんどん夢の中の出来事みたいに思えてくるのだ。
 私はむきになって友達とのお喋りに集中する。
「……で、小林くんってやっぱりあの子とつきあうようになったよねー」
 出てきた話題に、チクンと反応する私の胸の奥のさかむけ。
「普段から仲良しだったもんね。いいなー、私もあんな彼氏欲しー」
 友達の1人が心からうらやましそうに言う。
 まあ、多分みんな同じ気持ちだと思う。そういう、憧れ。ちなみに私たちのお弁当グループの4人は、誰も彼はいない。
は好きな人いないの?」
 からかい半分に聞きあうのは、みんなお互い慣れっこ。
「いないよー」
 私の答えはいつも同じ。
 友達に気持ちを許してないわけじゃない。
 多分、性格なんだと思う。
 誰が好きだとか、そういうことをひとに言えないんだ。
 だって、今回みたいに片思いの相手に彼女ができちゃったりした時、どんな風にみんなの前で振舞えばいいのか、わからない。
 昨日、桃城くんが漕ぐ自転車は、坂道を力強くぐいぐい登っていった。
 私も、あんな力と勇気が欲しい。
 そう思ったのに。
 友達に話すこともできない。
『昨日出会った、通りすがりのヒーローにまた会いたいの』
 って。

 午後の授業も過ぎていって、最後の英語ではミニテスト。
 制限時間を確認するため時計を見るたび、軽くため息。
 時間はどんどん過ぎていく。
 桃城くんに声をかけられないまま、時間はどんどん過ぎていく。
 彼がどんどん遠くなっていくような気がする。

 SHRも終わると、クラスメイトたちは皆それぞれ部活やなんかで解き放たれた鳥のように散っていく。仲良したちは、くだんのジェラート屋へ。彼女たちに手を振って、私は英語の先生が忘れていったテキストを届けに職員室へ向かって歩く。
 桃城くんはいつも授業が終わると弾丸のように飛び出して部活へ行くから、今日もきっとそうなんだろう。
 話しかけるタイミングなんかないよね。
 きっとそうだ。
 そう自分に言い聞かせて、私は足早に教室を後にする。
 早く家に帰ろう。そして、眼鏡屋さんにでも行こう。
 そう思いながら歩いていると、風が、私を包んだ。

「おう!」

 背後からやってきた風は、ふわりと私の傍で滞留。
 風を運んできたのは、桃城くんだった。
 目を丸くする私の隣を、彼は私に歩幅をあわせて歩く。
「今から帰んのか?」
「……職員室に届け物」
 今度は走って逃げるわけにもいかず、私は彼から目をそらして答える。
「桃城くんは?」
 なんとかそれだけを話しかけてみた。
「俺? 俺、今日は日直でさ。ろくに仕事しなかったから、日誌くらい持ってけって女子から言われてよー」
 片手に持った日誌を振り回して笑った。
「よかったら、私が持ってこうか?」
 言うと、彼は少し考えるような顔をしてから苦笑い。
「いい、いい。ちゃんと自分で持ってくって」
 そう言って、私と一緒に歩き続けた。
 このまま一緒に職員室まで歩くんだと思うと、急に職員室までの道のりが遠く感じたり短く感じたり、とにかく私の頭の中はぐるぐる。
 ちらり、と隣の彼を見上げた。
 男の子らしくビシッと立てた髪、広い肩幅、優しげでいてまっすぐな目。

 かっこいいな。

 うん、桃城くんはかっこいい。
 彼は人気者だし、いつもにぎやかで楽しい空気を作り出すのは、前から知ってはいた。
 けど、昨日、彼……カルロスと出会って、短い時間を一緒に過ごして、桃城くんはそれだけじゃなかったんだって知った。
 昨日、最初はわかんなかったんだよね、彼が誰なのか。
 眼鏡こわしてたし、あんな状況で慌てちゃってたし。
 けど、並んで歩いて声を聞いているうちに、さすがに気付いた。
 桃城くんは、きっと戸惑って、困っただろうな。
 私はそうっと、隣の彼を見上げた。
 桃城くんは、穏やかな表情でずっと前を見てる。
 昨日は、どんな顔で私と一緒にいてくれたんだろう。
 桃城くんは、いつもの『騒々しいにぎやかな男の子』っていうあの印象からは想像できないくらい、ひとの気持ちを考える子なんだって、昨日はじめて知った。
 そうでなきゃ、カルロス・サンダーなんて名乗らないよね。
 今私の隣を歩いてるのは、カルロス・サンダーで、そして桃城武くんだ。
 職員室のある校舎へ繋がる中庭の通路を歩いていると、ふんわりした風が吹いてきた。
 かすかに流れてきた匂いは、たぶん桃城くんの整髪料の香り。
 昨日、自転車の二人乗りをしている時にずっと私を包んでくれていた匂い。
 私は足を止めた。
「……ん? どした?」
 桃城くんは普段教室で見る彼となんらかわらない、気さくな表情で私を見て、立ち止まる。
 私の言葉は、喉元まで出かかってるのに。
 目の前の彼は、クラスの人気者の桃城くん。
 いつもにぎやかで、楽しい女の子たちとわいわいやってるような、彼。
 気の利いた冗談もいえない私が、話しかけられるような子じゃない。
 私の喉はカラカラと奥で張り付いてしまったようで、何も言い出せず、黙って職員室に歩を進めた。
 彼も歩き出す。
 職員室までは、この連絡通路を過ぎて校舎に入っていけば、あと少し。
 私が彼と並んで歩くのはもう、それまで。
 桃城くんはテニスバッグを背負っているから、きっとこのまま部室に行くんだろう。

 職員室までの道が、もっと長ければいいのに。

 そしたら、私は何も言えなくても、彼と歩いていられる。
 何かを言うのは、やっぱり怖い。
 彼が昨日のことを、どう思ってるのか。
 桃城くんにとって、何でもないことなのかもしれない。
 あの二人乗りも、最後に……抱きしめてくれたことも。
 この世から消えてしまいたかった私は、彼と過ごした1時間たらずの間ですっかり変ってしまった。
 けど、それは私だけの世界。
 隣で『今日はグラウンド100周だなー』なんて言ってる彼とは、世界が違うんだ、きっと。
 職員室の扉を前に、ふと私は彼の顔をまた見上げる。
「ん? どした? 入んねーの?」
 気さくな彼はいつもどおり。
 私は扉を開けて中に入り、英語の先生にテキストを渡して『さすが委員長』なんて、軽くお礼を言われる。
 桃城くんは担任の先生に日誌を手渡して、何か楽しそうなやりとり。
 私が職員室を出ていくと、『じゃ、先生、俺部活行きますんでー』と桃城くんの声が背中から追ってきた。
「……これから部活なんだ。大会?」
 職員室を出た廊下で、彼のテニスバッグを見る。
 よかった、部活にちゃんと復帰したんだ。昨日の彼の話を思い出して、ほっとする。
 彼の日常に戻ったんだ。
「ああ、今回はレギュラー落ちしたけど、これからがんばんねーとな」
 連絡通路のところまで来て足を止めた。
 皆いつもここから近道をして行く。
 ここでさよならだ。
「そっか、部活頑張ってね」
 桃城くんは『おう』と答えて、軽く手を振って私に背を向けると、中庭に向かって走った。
 本当は禁止されてるけど、ここから中庭を通って近道をして上履きを履きかえるんだ、男の子たちは。
 彼の後ろ姿を眺める。


 明日なら、ちゃんと話せる?
 明後日なら?

 ううん、きっと私は明日も明後日も話しかけることができない。
 昨日のお礼を言うことができない。
 私、死にたいって思って木に登ったくらいなのに、桃城くんに声をかける勇気もないの?
 走っていく桃城くんの大きな背中は、どんどん小さくなっていく。
 校舎の角を曲がってしまえば見えなくなる。

 私は上履きのまま、中庭に飛び出した。

 多分、青春学園に入学して初めてのことだと思う。
 上履きのまま、外に出てしまうなんて。
 桃城くんの背中を目指して、走った。
 私の心臓は、溶岩みたい。
 熱くて、どくんどくん泡立つ。
 普段、体育の授業以外で走ることなんてない私が、桃城くんの背中に追いつくことができるんだろうか?
 ところが。
 桃城くんの背中はどんどん大きくなって、彼の足取りがいつしかゆっくりになっていることに気付いた。
 つんのめるように走る私の目の前に迫った、広く大きな彼の背中。
 彼の背中を前に、立ち止まった私はハアハア肩で息をした。
 くるりと桃城くんが振り返るけど、私は息が苦しくて何も言えない。
 見上げた彼の表情は、眉毛がハの字になって、口元はきゅっと結ばれていた。
 
「……遅せーよ!」

 と、ひと言。

「……ごめん、私、普段走らないから……」

 必死でそれだけ言うと、彼の大きな手が私の頭にポンと置かれて、でもそれは一瞬。
「……そうじゃなくてさ……」
 私の頭からすぐに離れたその手で自分の頭をぽりぽりと掻いて、困ったように額をおさえるしぐさ。
 私は大きく息をした。
 上り症だった私に、小学校の時の先生が教えてくれた、気持ちを落ち着ける方法。
 ゆっくり大きく息を吸う。
 肺に空気を沢山吸い込んで、一瞬とめて、ゆっくり空気を吐く。
 その時に、自分の中にある嫌な気持ちや緊張する気持ちや悲しい気持ちをぜんぶ追い出す。
 そうすると、身体の中にきれいなものだけが残って落ち着くんだって。
 何度か大きく呼吸をくり返す。
 そして、じっとまっすぐに桃城くんを見た。

「……カルロス、昨日はありがとう。また会いたいって思ってた」

 朝からずっと、桃城くんに言いたかった言葉。
 これだけのことを言うのに、一日かかってしまった。
 桃城くんは、じっと私を見て、そしてくしゃっと表情を崩す。
 少し赤くなった顔を、片手で被った。
「……もう、は俺のことを見つけてくんねーのかと思った。それか、正体を知ってがっかりしちまったかって」
 そんなわけないじゃない、と言おうとすると、彼は大きな深呼吸をくり返した。『のマネ』と言って笑う。
「……俺、結構弱ぇから、がカルロス・サンダーの正体に気付かなかったらどうしようって、今日はずっと不安だったんだぜ」
 目を丸くして見つめる先の彼は、まぎれもなく桃城くん。いつも自信たっぷりで人気者の桃城くん。
 彼でも不安になるんだ。
「ごめんね、不安にさせて。私、本当は朝からずっと見てたのに」
「……カルロス・サンダーも、またに会いたいなあって思ってたんだぜ。会って、ちゃんと部活に戻ったって、報告したかった」
 お互い、クラスメイトで毎日顔を合わせてるのにね。
 ふたり、くくくと笑った。
「あのさ」
 桃城くんは顎のあたりに手をあてて、何度か考えこむように唸ってみせる。
「うん?」
「部活終わったらさ……」
 彼の言葉をさえぎったのは、校舎の方から聴こえる先生の怒号。
「こらー! 上履きのまま中庭に出るなって、いつも言ってるだろう!」
 私はビクンとしてあわてて振り返る。
「やっべ」
 声を上げると同時に、桃城くんが私の手を掴んだ。
「行こうぜ!」
 私を見下ろして、ニカッと笑った。
 昨日はこんな笑顔だったのかな。
 桃城くんに手を引かれて、一緒に走る。
 先生の怒鳴り声は、背後に小さくなっていった。

 また、彼の自転車の後ろに乗りたいな。

 走りながら、私はそんなことを考えた。

(了)

 2012.1.29

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