● 土曜の夜、君と帰る 3 --- 冥土の土産に教えてやる ●

 幸村くんからもらったラベンダーのサシェに、私は何度も何度も鼻を近づけてその香りを思い切り肺に吸い込んだ。
 自分の部屋にも、なんだかその甘い香りがどんどん広がっていくような気がする。
 幸村くんて、きれいな顔して穏やかで、でもちょっと厳しそうで男らしいのに、お花とか育ててるんだ。そして、こんな素敵な匂い袋なんか作っちゃうんだ。で、さらっと女の子にプレゼントしてくれたりしちゃうんだ。
 めちゃくちゃかっこいいじゃないの!
 私はなんだかウキウキしてきちゃって、幸村くんが言ってた通り、それを鞄につけようとして、そしてふと手を止めた。
 そこには、一年の時に柳くんからもらった梅の花の模様の匂い袋がぶらさがってる。
 私は鞄を膝にのせて、そっとそれに顔を近づけた。
 薄いピンクの生地はうっすらと汚れて来ていて、そこからはもうほとんど匂いはしない。匂いはしなくても、いつもは顔を近づけるだけでその匂いを思い出すことができていたけど、今はラベンダーの匂いをずっとかいでいたせいか、もう思い出すことができなかった。
「そーだよね、これ、もう三年ちかくぶら下げっぱなしだもんね、取り替えようかなー」
 誰に言い聞かせるでもなくつぶやいて、柳くんにもらった匂い袋の紐に手をかけるけど、どうしてだかそれを外すことができない。
 しばらく考えて、私はラベンダーのサシェを鞄のポケットにしまった。
 だって、幸村くんからもらったサシェ、リボンでしばってあるだけだからさ、鞄とかにぶらさげたらすぐに外れちゃいそうなんだもん。
 うん、それだけのこと。
 古い匂い袋を外さなかったのも、それだけのこと。



 授業中、私は改めてすぐ前の席の柳くんをじっと見た。
 一年の時から同じクラスの柳くん。不思議と、席も近いことが多かった。
 ちやほやと優しくしてくれるタイプじゃないけど、困った時に何かを聞くとなんでも教えてくれて、何でも知ってる男の子。なんだかんだと結局は私を助けてくれる男の子。
 一年の時のブラジャー事件は強烈だったけど、とにかく、私にとって柳くんにかなう人はいないって感じなの。
 友達からよく、 は柳くんとつきあってるんでしょ? と聞かれてしまうくらいに仲はいいけど、当然そういうんじゃない。
 恋とか好きなのだとか、そういうのはちょっとわからないんだよね。いろいろ印象が強すぎて。そもそも柳くんが私をどう思ってるのかもわからない。
 で、柳くんとどうこうってばかり言われるのもいやだから、ちゃんと男の子とつきあったりしようと思って、ちょっといいなあと思う男の子にアタックしかけたりもするんだけど、どうにも中途半端なんだ、私。
 だって、男の子を好きになるたびに
『もしもこの子が柳くんと対決したら、どっちが勝つだろう』
 とか考えちゃうんだよね。対決って、何の対決だよって話だけど。
 で、どんな風に想像しても柳くんに勝てそうな子ってなかなかいない。
 だって、柳くん、当然テニスは強いし、頭はいい。体を鍛えてるから、結構腕っ節も強そう。寡黙だけど、結構意地が悪いから口喧嘩も強いだろう。
 お父さんじゃないんだからさ! どうして私が恋をする相手の基準が柳くんだよ! って自分でもいやになるんだけど、きっと一年の時に助けてくれた時のあれがインプットされちゃってるんだよなあ。

「ねえ、柳くん」

 休み時間に、大きな後ろ姿に声をかけた。
「なんだ?」
 本を手にしたまま、振り返った。
 見慣れた姿。
 一年の時は小柄で細くて女の子みたいだったのに、ほんと、すっごく男らしくなったなあ。って、私はお母さんか!
「あのさ、幸村くんにほら、あのサシェっていうのもらったじゃん。何かお礼したいんだけど、そんなに気遣わせないような気の利いたお礼って、どういうのがいいと思う?」
 柳くんは本に栞をはさんで、ふっと息をつくといつもの表情のまま。
「さあ、それは がどうしたいかによるだろう」
「え? どうしたいかって?」
 意外な返答にちょっと驚く。
「単に礼をしたいということであれば、別に次に会った時にありがとうと言えばそれだけでいい。あの時あいつがお前にあれをやったのは、たいした意味があってのことではないからな。単なる話の流れだ」
 これまた、ずばりとした答え! 妥当ではあるけど、むっかつく!
「そりゃ、わかってるけどさー! ほんと柳くんって、みもふたもないよね!」
「続きを聞け。もしもお前があいつに気があって、これをチャンスにしたいというのであれば、話は別だ。一般的に、いい機会だろう。時期も時期だ。バレンタインの贈り物でもすればいいのではないか?」
 柳くんの答えは、いつも的確だ。
 細めたままの彼の目を見ながら、私はなんだか睨みつけられたような気持ちになってしまう。
「うーん、だよね。バ、バレンタインの方向で考えてみる」
 私は横向きに机に突っ伏した。
 机の横にぶら下げてある自分の鞄が目に入る。
 そして、その取手にぶらさがってる、ちょっと汚れた古い匂い袋。
「だよねー。別に、深い意味があってくれたわけじゃないよねー」
 つぶやきながら、一年の時に泣きながらあの匂いをかいだことを思い出した。
 今はすっかり消えてしまった香り。
 柳くんだって、別に意味があってくれたわけじゃないのはわかってるよ。
 私が泣いちゃってどうしようもなかったからだもんね。
 私は鞄の中から、ラベンダーのサシェを取り出した。
 顔を近づけると、まだ新鮮な、あの安心するようなあまい匂い。
 幸村くんだったら。
 柳くんと対決しても勝つような気がする。
 口喧嘩とかでも。
 そういう子なら、私も全力で好きになれると思うんだ。
 別に、つきあうとかじゃなくていい。
 ちゃんと恋をしたいの。片思いでいい。
 この人すごいなー、好きだなーって、男の子を好きになりたいんだ。
 柳くんのことばかり気にしてないでさ。



 お礼がてらバレンタインに幸村くんにチョコをあげるってのはなかなかいいかもしれない、と思いながら、その日の放課後私はご機嫌な気分で校舎を出た。
 すると、ちょうど幸村くんが校舎を出て歩いているのが目に入った。
「幸村くん!」
 欅の木のところで彼に声をかけた。
「ああ、 さん」
「あの、この前のサシェ、どうもありがとう。家に帰って部屋に置いてたら、部屋もいい匂いになったよ。売ってる芳香剤なんかとはぜんぜん違うね」
 彼はにこっとすっごくいい笑顔を返してくれた。
「ああ、そりゃあ天然の香りだからね。香りが弱くなったら、精油を混ぜればいい。またいつでも言って」
「うん、ありがとう」
 ほんっと、素敵な男の子だなあ。こうして会って話してるだけでも、わくわうしちゃう。
「で、あの、お礼にね、バレンタインにチョコなんか贈ろうと思うんだけど、幸村くん、いっつもすごく沢山もらってるでしょ? 実際問題迷惑じゃない?」
 私はちょっと気になってたことを聞いてみた。ま、迷惑です、とも言いにくいだろうけども。
 彼は一瞬眉を動かして、じっと私を見た。
「うーん、そうだな、義理的な、どうでもいいようなチョコレートなら、正直いらないって思うかな」
「え?」
 彼は一歩私に近づいた。
さんは、俺のことが好き?」
 想像だにしない逆質問に、私は体中の血液が逆流しそうなほど動揺してしまった。
「ええっ!?」
「だから、俺とつきあいたいって思うくらいに好きかいって聞いてるんだよ」
 あの穏やかできれいな笑顔で、さらりと聞いて来るんだ、幸村くん。
 体中がかあっと熱くなるのが先で、そして次にものすごい勢いで心臓が動いていることに気づいた。
 好き? 
 うん、好きだって思ったから、バレンタインにチョコをあげようって思ったんだよ。
 ほら、こんなに意表をついてぐいぐい言ってくるような男の子、きっと柳くんにだって何でも勝つと思う。口喧嘩だってきっとすごく強いはずだ。柳くんのことだって言い負かせるに違いない。
 だから、きっと私は幸村くんに恋をする。
「……うん、私、幸村くんが好きだよ」
「本当? じゃあどうして、俺のあげたサシェを鞄につけてない?」
 彼はじっと私を見たまま言うのだ。
「だって……」
 私はついその強い目から逃れようと、自分の鞄の取手を見た。
 思わず、あっと声が出る。
 いつでもそこにあったはずの梅の花の模様の匂い袋がなくなっていた。
 ピンク色の紐だけが残ってるだけ。
 古くなった紐が切れてしまっていたのだ。
「あ……」
 私は鞄のポケットに落ちてないか、あわてて探したけれど、あの小さな袋はどこにもなかった。
 あるはずもないのに、鞄の中を探したりおたおたしている私の目からは、いつの間にか涙が出ていた。
さん……!」
 しゃがみこんで泣いてる私の隣に、幸村くんも腰をかがめて声をかけてくれる。私の様子にあわてているようだ。
「ごめん、ちょっと……」
 何をどう説明していいかわからなくて、私は何も言えない。
 柳くんの匂い袋。
 ずっと私を守ってくれてたような気がしてた。
 お守りみたいに。
 私はついに愛想をつかされてしまったんだろうか。
 なぜだかそんな考えが頭に浮かんで、涙が止まらなくなってしまったのだ。
さん、ごめんごめん」
 そして、どうしてか隣では幸村くんが困ったように謝ってくる。どうして彼が謝るのかわからない。
「そこにぶらさがってたの、柳からもらった匂い袋だろう? 柳も同じ物を持ってたからね、知ってた。 さん、ずっとぶらさげてたよね。紐が切れちゃったんだね。一緒に探そう」
 そう言うと、ちょっと驚いてる私の手を取って立ち上がった。
「まずは教室までの間を探そうか」
 涙ぐんだままの私の先を歩きながら、幸村くんは丁寧に地面を探してくれた。私もハンカチで涙を拭いて、じっと地面を見て歩く。
 お願い、見つかって。
 もう匂いはしないけど、いいの。
 ないと、なんだか不安なんだもの。
 一瞬でも外してしまおうなんて思って、ごめんなさい。
 一度教室まで行って、そして二人でまた靴箱のところまで戻って来た。
「あっ!」
 靴箱から外に出るところの扉のすきまに、見慣れたピンクの小さな袋。
「あった……」
 私はいそいでそれを手にして、ほこりを払ってぎゅっとにぎりしめた。
「よかったね」
 私が顔を上げると、幸村くんはふんわりと笑ってくれた。
「ごめん、ってうか何て言ったらいいんだろうね」
 彼はくすっと笑う。
「柳の匂い袋をなくしちゃったくらいでそんなに泣くんだから、もう諦めなよ。 さん、きみは一年の頃から柳に調教されちゃってるんだよ」
「はああ!?」
 調教って!
 私がいまだ涙ぐんだままの顔でびっくりした声を上げると、幸村くんはあの太陽のような笑顔で続けるのだ。
「どんな時でも、気がついたら柳がいる。どんな時でも、柳がきみを助ける。どんなにしらんぷりをしていて、見ていないふりをしていても、柳はいつもきみを見ていて、何かがあったら必ず助ける。きみもそれがわかってるから、柳から離れられないんだよ。だから、どんなに他の男に恋のまねごとをしてもうまくいかない。ああいう男のやることだ。そんなとこだろう?」
 自信たっぷりの宣告をする彼に私は絶句。
「言うまでもないだろうけど、もうひとつだけはっきり教えてあげるよ。大丈夫、柳は、きみが好き」
 そして、ポケットから小さな袋を取り出した。
 前に私にくれたものと同じサシェ。
 ふわりといい香りが私たちの周りに漂う。
「当て馬みたいなのは俺の柄じゃないけどね、女の子が泣いてしまうんじゃ仕方ない。こういのは、ちょっとしたスパイスだ」
 彼はそう言って笑いながら、私の鞄の取手にそのサシェをくくりつけた。

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2009.2.14

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