● 土曜の夜、君と帰る 4 --- どうです、ここでひとつ手を組みませんか ●

 部活動の朝練のない三年の今、俺は少し早めに学校に来て自分の席で本を読むことが日課だ。さして長い時間ではないが、そのちょっとした時間の集中が心地よい。
 が、その日は本に目を落としながら、いつも通りの集中をキープすることができなかった。
 前日の学校の帰りがけ、何気なく目にした映像が頭から離れない。
 下校の時刻だというのに、生徒達が向かうと反対方向、校舎の方へ精市に手を引かれて歩いて行く 。うつむいていたその目には、確かに涙が浮かんでいた。
 もしも精市に気持ちがあるのなら、バレンタインのチョコでも贈ればいい。
 確かに にそう言ったのは俺だ。
 しかし昨日のあの状況というのは、俺の予想している範囲にはなかった。
 そんなことを考えていると、ふとかすかに甘い香りが漂う。
 バンッと本を置いて振り返った。
「あ、おはよう、柳くん。びっくりした」
 いつも彼女が登校してきても俺はいちいち振り返ったりしないからだろう、彼女は驚いた顔で俺を見た。
 俺が驚かされたのは、その香りだった。
 まぎれもなく、精市が愛用しているラベンダーのサシェの香り。
 たしかに彼女は俺の目の前で精市からそれを手渡されていたから、その香りをまとっいてもおかしくはない。が、こんなに明確に香っていただろうか?
 俺はふと彼女の鞄を見た。
 思わず、目を見開いてしまった。
 一年の時からずっとそこにあった梅の花の模様の匂い袋は消えていて、新たにぶらさがっているのはベージュ色の小さな袋。水色の細いリボンがあしらってある。精市のラベンダーのサシェだった。
 俺は彼女に挨拶もかえさず手元の本に目を落とした。
 別に、どうということはない。
 あの古い匂い袋はとっくにその香りは消えていたことだろう。
 新しく手に入れた匂い袋につけかえるというのは、ごくごく自然なことじゃないか。
 理路整然と頭で考えてみるが、胸の奥はどうにもそれに納得しないようで、がさがさといやな感触が体の中を蝕んでいった。



 金曜日のこの日はちょうどバレンタインデーの前日だ。
 今年は学校が休みの日にあたるし、去年までと違って部活もない。学校で女子生徒からチョコレートをもらうことに辟易していた俺は、今年は少々ほっとしている。
 が、女子生徒たちはそれなりに作戦があるようで、女子同士であれやこれや話し合っているようだった。
 昼休みに、俺はふいに後ろの席を振り返ってみた。

「えっ、あっ、何っ!?」
 妙にうろたえたように彼女は返事をした。
「バレンタインは明日だろう? 精市に、贈り物の用意はしたのか?」
「えっ!」
 また驚いたように言うものだから、俺はかるく息をついた。
「精市にチョコレートを贈ると言っていたんじゃないか、そいつの礼に、いいきっかけだと」
 俺は彼女の鞄のサシェを指差した。
 すると、彼女は少しあわてたような驚いたような顔をするのだ。
「あ、うん、っていうか柳くんには関係ないじゃん。柳くんこそ、どうなのよ。いつも結構もらってるでしょ。ちゃんと、好きな相手からもらえそうなの?」
「……俺のことはどうでもいいだろう」
「じゃあ、私のことだってどうでもいいじゃん」
「お前は精市のことを一度俺に相談してきただろう。だから気にしてやっているんじゃないか」

 昨日、精市と何があったんだ?

 そう尋ねればいいことかもしれない。
 冷静に考えれば、一言そう尋ねればいいだけのことだ。
 友達として、それくらい尋ねてもおかしくはない間柄ではあるはずだ。
 だけれど、それはできない。
 こういう気持ちは、理屈で処理できるものではないから。
「……もうね、私のバレンタインのことはいいじゃん。自転車のかごにチョコを返されてたことを思い出して、笑っててよ」
  は中途半端に笑うと、弁当箱を持って席を立った。



 その日、結局それ以上 と話すことはなかった。
 俺は無駄な感情の動きが嫌いだ。
 考えても仕方のないことを頭にめぐらせたりなど無意味だと、常々思っている。
 放課後、帰り支度をして校庭を歩きながら自分の頭を整理した。
 俺は が好きだ。
 そして、 が俺を好きになるよう、ずっと仕向けて来た。
 そのことはさして隠そうともしていない。
  が俺を気にしているのもわかっている。
 彼女がそんな自分を持て余して、他の男に恋をしてみようと試みていたのも知っている。けれど、そんなことは無駄な抵抗だ。俺以上に彼女にとって強く存在する男はいないのだから。いずれ、彼女は俺に恋心を示さざるを得ないだろう。そう確信を持っていた。
 が、精市の動きが少々計算外だった。
 もちろん、場合によっては がああいった男に興味を示すこともありえなくはないとは思っていた。そして、精市は自分の気に入った女が、俺の好きな女だからといって遠慮をするタイプではないことも知っている。それでも、俺のデータでは、精市と が恋に落ちる確率は極めて低い可能性でしかなかったのだ。
 そんなことを考えていたからだろうか。
 校門を出たところで偶然出会った精市は俺を見て、開口一番笑うのだ。
「どうした? ひどく怖い顔をしてるね」
 俺はふうっと息を吐く。
「別に、普段とかわりない。気のせいだろう」
「ならいいけど」
 静かに言って、精市は隣を歩いた。
「……俺に、聞きたいことある?」
 そして、奴らしくストレートに言うのだった。
 ちらりと奴を見るけれど、こういう時のこいつの表情は本当に読めないのだ。
「……べつに。お前が何かを言いたいというなら聞くが」
 精市はくくっと笑った。
「まあ、そう言うだろうなあと思ったけど。柳が聞きたいって言うんじゃなけりゃ、別に俺もわざわざ話さない。ただ……」
 奴は意味深にひと呼吸おいた。
「ここはひとつ、俺から話を聞いておいた方が、楽になれると思うだけだよ」
 心の読めない穏やかで華やかな笑顔を、俺はじっと見つめた。
「……いや、別に興味はない」
 俺はそう言い放つと、足速いに精市の隣を離れた。

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2009.2.14

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