地下のミーティング室に入ったとたん、私は眉をひそめた。
「ちょっと! ここは禁煙って言ったはずよ!」
言いながら、空調の換気を最強にする。
部屋に入ると、一瞬目がかすんだかと思うほどに煙草の煙が充満しているのだからたまらない。
「まったく、ガミガミうるせェ女だな! こんな一文の得にもならねェ仕事なんざ、吸わずにやってられっかよ!」
不機嫌そうな次元大介が声を上げる。
「中学生以下ね!」
ひとしきりいやみを言った後、私は機材室に消臭剤を探しに行く。
まったく煙草くさくてかなわない。
廊下で、ふとなじみ深いスパイシーな香りが漂う。
足を止めると、警備室から榊先生が出てきたところ。
「なんとかやっているようだな」
彼の言葉に私は眉間にしわをよせてみせる。それが全て、と言いたいところだけど。
「あんな泥棒たちに出入りを許すなんて、正直なところ気が進みません」
私が言っても、当然彼は軽く笑うだけ。
「……先生は……」
私は懸念をつい口にした。
「あの泥棒たちが、本当にダイヤに手を出さずにいられるとお思いですか?」
榊先生はその長くて優雅な指を軽くこめかみにあてて、じっと私を見た。
「は心配か?」
「当然です」
私が言うと、榊先生は自分のこめかみにあてていたその指で、すうっと私の頬と髪に触れた。どきりとする。
「……泥棒は、私と約束をした。だからは私を信じていればいい」
私の髪をすうっと梳くだけなのに、まるでその指の熱が伝わってくるみたい。
私がそれ以上何も言えないでいると、彼は私に軽く手を上げて廊下を歩いて行った。
ふうっと息をついて、私は当初の目的どおり機材室から消臭スプレーを探し出してミーティングルームに戻る。
室内に思い切りスプレーを振りまくと、次元大介がゲェと嫌そうな声を出す。
「おいおい、俺たちゃゴキブリじゃないんだぜ」
「同じようなものよ! もうこの匂い、我慢できないの!」
地下の部屋への出入りおよびミーティングルームでの作業を許可された彼らは、部屋で煙草を吸いながら、私が用意した資料に目を通している。
「まあまあ、次元ももちったぁ穏やかにやろうぜ」
ルパン三世はのんきな声を出す。
「それにしても、だ」
顔を上げてピューと口笛を吹く。芝居がかった仕草も、彼がやると不思議といやみではなくて様になっていた。資料をポンとテーブルに置く。
「氷帝学園の私設警備は相当なモンだな」
私が彼らに手渡した資料は、ここ最近の学内への人の出入りの記録だ。一般的な学校も外部の者の出入りについては厳しいものであると思うが、ここの警備では業者から何から相当細かくチェックをして記録を残してある。
さすがに警備システムの詳細の資料を渡すことはできないけれど、チェック記録を見ただけでも警備に厳しさは分かるだろう。
「この地下の設備を見ただけでもだいたい予想はつくでしょ」
「まあな」
ルパンは軽く笑った。
「ま、銭形のとっつぁんの警備、そしてこの学校の警備、そいつらをかいくぐって盗みをやるなんざ相当難儀だってぇ事は確かだな」
ソファに脚を投げ出して横になった次元大介が、短くなった煙草を灰皿に押し付けてつぶやいた。
「当たり前だ。ウチの学校で好き勝手ができると思ったら大間違いだぜ」
その声に私があわてて振り返るのと、ルパンと次元がぎょっとソファから身体を起こすのは同時。
ミーティング室の扉から半身を覗かせているのは跡部景吾だった。
「なんだ、このガキは? ここの警備はこんなガキを通すのか?」
次元がソファから身体を起こして言うのを、ルパンが制した。
「ああ、どっかで見た事のある面だと思ったら、跡部景吾か」
一方ルパン三世はのんきな声で言う。
跡部が面倒なことを言い出す前に、私があわてて口をはさんだ。
「跡部はこの警備システムに関しての大口スポンサーだから、ここの出入りは当たり前なの」
二人に向かってそう言ってから、私は改めて跡部の方を見た。
「なに、跡部、どうかしたの?」
跡部が地下に出入りすることは常だから、彼がルパンたちのことは全て承知しているだろうことも道理なのだけど、これって教育的にはちょっとどうなのかと私は少々慌ててしまう。だって、中学校の地下の警備システムに泥棒が出入りしてるなんてね。
そんな私の気持ちはよそに、跡部はさらりと前髪をかきあげた。
「ああ、先生を探しに来た。最近は先生が保健室を空けてることが多いから大変だぜ。さっきも岳人が調子に乗ってジャンプをしていて、失敗をしてすり傷をつくったもんだから、忍足が手当をしてやってたんだがイソジンをぶちまけてな。それで、ただでさえジャンプの失敗で機嫌が悪かった岳人がキレて大騒ぎだぜ。ジローのやつは先生がいないのをいいことに保健室で寝てばかりだし」
そう、私が地下で泥棒たちの世話をしている間は保健室が留守になってしまうのだ。
「まじで! ヤダ、保健室をイソジンまみれにしないでほしいわ!」
私が慌てて部屋を出て行こうとすると、ああ、といつものように左手を優雅に眉間のあたりに掲げてみせる。
「ああそうだ、アンタたちに渡したいものがあったんだ」
そう言うと、私に白い封筒を差し出した。
「よかったら使え」
跡部はそれだけを言うと部屋を出て行った。
封をしていないその中身をあらためて、私は大きくため息をつき、それをソファを占領する泥棒たちに放った。
封筒の中身をのぞいたルパンがくっくっと笑う。
「……あのガキ、粋なコトしやがるぜ」
中に入っていたのは『ニーベルングの指輪』のワルキューレの舞台のチケットが3枚。
氷帝学園でのオペラ鑑賞会の前に行われる一般公演のものだ。
もちろん、完売御礼のプラチナチケット。
今回の公演を観ておくことは、機会があればもちろん必要だと思ってはいた。
けど、それにしても……。
二人の泥棒と一緒に豪奢なボックス席に落ち着くことになるとは予想外。
ローレン・スコットのドレスの初の出番が泥棒のお供だなんて。
榊先生に、跡部に手渡されたチケットのことを伝えると当然のように『行ってくるといい、参考になるだろう』と。
私はちらりと私の両隣にふんぞりかえる二人の泥棒を横目で見た。
変装をしているとはいえ、銭形警部の警備でがっちり固められている公演をのうのうと観劇するなんてどういう心臓。
「跡部財閥の年間シートだろ? 誰も泥棒が座ってるとは思やしねェよ」
スマートな紳士に変装をしたルパン三世がウィンクをしてみせる。
ルパンも次元も、もとより彫りの深い顔立ちをしているし背も高い。ちょっと変装をすれば外国人の紳士のように見えるのがちょっと意外で、感心してしまった。
「芸術監督のオットー・ベーレンスが舞台挨拶をするんだっけ?」
私は自分の手元の資料とパンフレットを見ながらつぶやいた。
「ああ、例のダイヤをパトロンから借り受け、今回の公演が最後になるってぇ監督さな」
変装をした次元はいつものちょいと猫背の姿勢ではなく、ぴりりと背筋を伸ばしていて普段の印象と違うものだから、私は少々戸惑ってしまう。
「あなた、音楽には詳しいの?」
次元は変装用の眼鏡の奥から私をちらりと見た。
「バカにすんな、俺ぁクラシックにゃちとうるさいんだぜ」
「へえ、意外」
「ニーベルングの指輪は好みじゃねェが、まあ話くらいは知ってるさ」
話しているうちに開演のベルがなった。
ステージのライトがともされ、幕の前に現れる人影。
細身で長身、50代半ばくらいの紳士だった。
それが、オットー・ベーレンス。
通訳の女性が彼の紹介をすると、会場は割れんばかりの拍手。
ビノキュラーを通して見た彼は、細身で手足が長く眼光の鋭い迫力のある男だ。
「引退するにはまだ若いわね」
ベーレンスは身振り手振りを交えながら、日本の印象であるとかこの作品についてだとかを愛想よくドイツ語で話していた。笑顔を浮かべてはいるが、それは顔に張り付いているようで、また手の動きが妙にぎこちない感じが気になった。
「左手が義手なのさ」
私の疑問を読み取ったかのようにルパンがつぶやいた。
「え?」
「10年以上前に事故で左手を失っている。それで指揮者から芸術監督に転向したが、そっちの方が大成したってワケさ、この監督サンは」
次元が続けた。音楽にはうるさいっていうのは本当のようだ。
拍手喝采の監督の舞台挨拶の後にオペラが始まった。
『ニーベルングの指輪』でもワルキューレは人気どころだ。だから特に今回の舞台のチケットは一般には入手困難なものだったわけだけど。
内容は神々のややこしい恋愛や嫉妬のドラマティックな話といったところだろうか。実は私もそんなに好きではない。
が、今回はやはり例のダイヤを見るために私も興味深く舞台に見入る。なんたって84.37カラットだ。
さて、そのダイヤを身につけるのはフリッカ役のベリンダ・モリス。
フリッカというのは、この話の重要人物である神々の長ヴォータンの妻。結婚の女神らしいけど、なかなかに嫉妬深くて怖いオバハンだ。けど、このヴォータンっていうのも他の女神や人間に手を出しまくりなので、フリッカが怒るのも道理ではある。
ベリンダ・モリスはメゾソプラノのベテランの歌手で、フリッカは当たり役だ。堂に入った演技と歌、そしてその頭に輝くダイヤは相当な迫力だった。
「すごい……」
ビノキュラーを通して目にしてもわかるその輝きに、私は圧倒されてしまう。
「そりゃああんなすごいダイヤを見せびらかしたら、盗んで下さいって言ってるようなものね。保管するにも警備総動員じゃない」
「ああ、そりゃ公演ごとに大騒動だ。お前サンも聞いてるだろうが、毎回公演を行うたびに銀行の金庫から警備を貼り付けての輸送。そして金庫から出す時と、公演を終えて金庫に戻す時と一日二回の鑑定」
次元もレンズ越しにステージを眺めながら言う。
私は改めて隣を見た。
この泥棒たちは、あんなダイヤを間近で見たとして、手に入れることをせずにいられるのだろうか。榊先生とこの男たちで話し合ったあの時以来私が抱いている疑問ではあった……。
「さすが20億はするといわれるダイヤだけある。眩しいぜ」
次元がピノキュラーをのぞきながらにやりと笑った。
ほらね、やっぱりどうにも信用できない、この男たち。
「ティアラの造作自体はさほどたいしたモンじゃないな。あのダイヤをしつらえるために作った舞台道具に過ぎない」
ルパンは意外に冷静な一言。まあ、プロの泥棒なのだから当たり前か。
「なあちゃん、知ってっか?」
と、ルパンは急になれなれしく肩を抱いてくる。
「何を?」
私はペチンとその手をたたくが、彼は堪える様子はない。
「あの監督が辞める理由さ」
「理由?」
聞き返しながらも、私は彼らがベーレンスをマークしているのだということに気づいてきている。
「この舞台のヴォータンじゃねえが、ベーレンスは才能はあるが相当に金や女に汚いらしくてな、どうもそういったことが理由らしいぜ。ちなみにフリッカ役のベリンダ・モリスとは長い付き合いで、実生活もヴォータンとフリッカをイメージすりゃだいたいそのまんまだ」
私は眉間にしわをよせて鼻を鳴らした。それは最低ですこと。
そして、ここまで説明されれば、よほど鈍くなければ彼の言いたいことは分かる。が、まずは彼の話の続きに耳を傾けることにした。
「いいか、考えてみろよ。そもそも、予告状を出すって事は、それだけ警備が厳しくなるってコトだ。これだけの人目のある会場、そして……」
ルパンは会場の端々に配置されている私服の警官を親指でクイと示す。
「あのしつっこい銭形の警備。ドロボーとしちゃ、うんざりさ。つまり、わざわざそんな予告をするなんて面倒な事をすんのは、本来は俺様くらいの大泥棒しかいねェってコト。なのに、なんで俺様以外のヤツがそんなマネをしたと思う?」
「牽制ってことでしょ」
「そ。予告状を出すことによって警備を強化させる。そして、万一他にダイヤを狙う奴がいたとしたらそいつらを牽制する。要は予告状を出した奴ぁ、自分の作戦に相当自信があるってワケだ」
ルパンは私と唇を触れあわんばかりに顔を寄せる。
「……考えられるひとつの仮説として、内部の者の仕業。あなたはベーレンスを疑ってるっていうわけね?」
「ご名答」
ニッと笑った彼は唇を寄せようとするので、私はすいとよけた。
あらら、と大げさに残念がる彼をよそに、左隣で次元が続けた。
「ベーレンスはこの楽団での芸術監督を最後にすると同時にダイヤをせしめ、それはまんまとルパン一味の仕業にしておさらばって筋書きさ」
言いながら、当然変装していてもそのままのあご髭をなでつける。
「奴の筋書きのニクいとこはな、登場人物にホンモノの俺様を登場させっちまうトコだよ」
座席に座りなおしたルパンはひどく真剣な顔をする。
「いかにもこのルパン様が黙っちゃいねェような獲物、銭形警部、ここまで用意したわけだ。そしてホンモノのルパン三世が登場した上で、ダイヤはまんまと自分がせしめる。そうなりゃ、まず自分が疑われる事ぁねェだろ。さすが芸術監督の考える事ぁ、芝居がかった上にこすっからいぜ」
なるほどね、と私は少々感心をした。どちらにしろ、この大泥棒を引っ張り出してしまったわけだから、さすが大物監督だ。
「が、世界に名だたる大泥棒が芸術監督如きにコケにされてたまるかっての。俺様の舞台はこんなちんまいステージなんかじゃなくて、この地球全部なんだからな」
そしてニッと笑ってウィンクをしてみせる。
「そこで、あんたに頼みがある。ベーレンスに盗聴器を仕込む事は手配できっか?」
私は背筋を伸ばしてクイと顔を上げる。
「私の職業を何だと思ってるの? できないわけがないでしょう」
ルパンと次元は満足そうな笑顔。
***************
それにしても、榊先生は本当に人使いが荒いと思う。
学内に泥棒を招き入れるようになってから、私は格段に忙しい。
泥棒が来てる時は彼らへの協力や世話(学内の出入りのサポートとかね)、それ以外にも……。
「いや〜、いつもすいませんなぁ〜」
氷帝学園でのオペラ公演の日も近づいて、銭形警部が警備の準備や下調べで来校する機会が多くなってきた。初日に顔を合わせたことが印象深いのか、彼はそれ以来学内で私の姿を見ると丁寧に目礼をし、時にはわざわざ保健室まで挨拶に来てくれるようになった。
初対面の印象通り、私はこういう真面目な勤務態度の警察官というのは嫌いではないので、保健室に招き入れてお茶などを出したところ、彼は大げさなくらいに喜んでくれたものだから、私も悪い気はしない。
今回、ルパンからの予告状が出ているということは公にはされてはいないけれど、顔を合わせているうちに銭形警部は彼がルパンという怪盗を追っているのだということを少しずつ話すようになった。お茶を飲みながら、ルパン逮捕にあたる心意気や今までの苦労話を聞くのもなかなかに興味深かった。
その彼が逮捕することを切望している泥棒が、実は我々の足下にのうのうと出入りをしているということは、非常に私も胸が痛むことではあるのだけど。
「そうですか、警部さんも本当に大変ですね。こんな学校のオペラ鑑賞会で、もし泥棒がやって来ると思うと、私、怖くて……。何も起こらなければいいんですけど……」
「先生、ご安心下さい! この銭形がいれば、もし泥棒めがやってきても必ずや逮捕してみせます!」
胸を張って言う彼はなかなかに頼もしい。けれど、思えばわざわざ自分が出張ってルパンをおびき出そうというのは、彼の秘密の作戦なわけだ。
まあ私も胸は痛むけれど、これは痛み分けということでいいかしら、と私はくすっと笑って自分で自分を納得させた。
「……ところで、警部さんは舞台の警備をするにあたって、あの有名なベーレンス監督とお会いしたりもなさるの?」
表情を伺いながら私が尋ねた。
「ああ……ベーレンス監督ですか。ええ、そうですな、警備にあたって会っています。そもそも、今回の警備は監督からぜひともと要請されたのもありましてな」
へえ、ベーレンスが銭形警部を。
ベーレンスの名を出した時の彼の表情は、明らかにひどく険しいそれだった。この、なかなかに鋭い警部もベーレンスについては思うところがあるのかもしれない。
そんなことを考えていると、突然ゴトッと重い音が響いた。
ベッドの方だ。
私と警部があわてて駆け寄ると、なんと芥川慈郎がベッドから落っこちてそれでもまだぐーぐー眠っている。
「ちょっと、ジロー!」
痛くないのかしらね、と思いながらゆさぶると、やっと目を開いた。
「うん……ああ〜、センセー……」
「センセーじゃないでしょ! もう部活の時間でしょ! テニス部は試合近いでしょ! 樺地が探してるんじゃないの? あの子にあんまり苦労かけないでいてあげてよね、もう!」
一生懸命ゆすってもまた目を閉じそうになってしまう。
まったくどうしようもないんだから!
と、そんなふにゃふにゃの慈郎が突然床から持ち上げられた。
「先生! この少年はテニス部にお届けすればよろしいですかな?」
銭形警部が慈郎を担ぎ上げたのだ。
「え、あ、ああハイ、そうしていただけると助かりますが……」
「承知いたしました! 少年、先生にご迷惑ばかりかけてはイカンぞ!」
警部に担ぎ上げられた慈郎は、ぱっちり目を開けてきょときょとしている。
「うわー、すっげーすっげー! オジサン誰? うわー、樺地以外で寝てる俺を担ぎ上げる奴って初めてだC! すっげー!」
「先生、それでは失礼いたします。お茶を、ご馳走様でした」
急に騒がしくなった慈郎を担いだままの警部は保健室を後にした。
ふうっと息をついてると、私の携帯が震える音。『仕事』用の携帯だ。
『、音を拾ったぜ。聴きに来いよ』
満足げなルパンの声だ。
「今まで警部がいたのよ。聴きに来いって、今どこ?」
冷や冷やさせないで、と思いながら返事をする。
『地下に決まってっだろ』
「……なんだってそんなに我が物顔で出入りしてるのよ」
盗聴器の音声チェックなんか、自分のねぐらですればいいでしょ、と私はあきれてしまう。
『ま、ここはなかなか居心地がいいし便利グッズもそろってっからさ。いいから来いよ』
来いよって、自分ちじゃないんだからね。と毒づきながら私は地下通路へ急いだ。
ミーティングルームへ滑り込むと、珍しく煙草を吸っていない次元がにやりと笑う。
「ま、聞いてみな」
再生される音声。
音源は当然私が手配をしてベーレンスに仕掛けた盗聴器からのもの。
何しろ、ベーレンス本人の警備はダイヤ程には厳しくはないから、彼の義手に盗聴器を仕掛けることにさしたる苦労はいらなかった。
再生される音はPCで修正をかけた後のようで、雑音は除かれておりなかなかクリアだ。
聞こえてきた音は聞き覚えのあるドイツ語の男の声に続いて、女の声。思わず次元とルパンの顔を見る。
「相手はフリッカ役のベリンダ・モリスさ」
ルパンたちが拾った二人の会話のキーワードは以下の通り。
『ワルキューレ 第二幕 ルパン ダイヤ すりかえ』
ベーレンスとベリンダ・モリスの会話内容を要約すると以下の通り。
公演前、警備の手よりティアラを受け取ってから『ワルキューレ』が開幕する直前にティアラのダイヤをニセモノにすりかえる、そしてフリッカの出番である第二幕はニセのダイヤで登場する。開演中にルパンが現れたら良し、現れなくても良し。どちらにしても、最終的にダイヤがニセモノにすりかわっているとバレてもそれはルパンの仕業になる。ルパンがニセのダイヤを盗んでいったとして、後で気づいたルパンがそれを口外するはずもない。
自分たちの完璧な作戦にご満悦な男女の会話だった。
「さーて、どうしてやっかな」
ルパンはひどく楽しそうだ。
こうなると、ルパンは頼りになるのかどうなのか、その気楽そうな様子を見て不安になってしまう。
「ねえ、大丈夫なの?」
私の隣に座っている次元のスーツを引っ張ると、彼は口端を持ち上げてニヤッと笑った。
「盗みの舞台が始まっちまえば、こっちがプロさ、仔猫ちゃん」
わざと私が嫌がる言い方をする次元の帽子を、思い切り引っ張ってやった。
その日の夜、私と榊先生そして泥棒二人で氷帝学園のホールに足を踏み入れた。改めての下調べだ。
控え室から舞台裏、舞台装置からなにから見て回る。
大雑把で行き当たりばったりな泥棒かと思っていたから、なかなか地味な作業もやるんだなとちょっと感心をしてしまった。
榊先生も二人にホールの説明をしながら一緒に歩き回っていた。
榊太郎はやっぱり不思議だ。
何を考えているのかわからない。
だって、私にこんなややこしい仕事をさせておきながら、実際のところろくに状況を聞いてくることもない。以前の職場では上司への定時報告が必須だったけれど。
というか!
こんな泥棒たちと私を行動させておいて、大丈夫か、くらい聞いてよねたまには!と思わないでもない。
榊太郎は何を考えているかわからない。
でも、まあいいかと思えてしまうから不思議。
どうして、彼とはまったく相容れなさそうな泥棒たちと、まるで古くからの知り合いかのように自然に一緒に歩いたりしてるのか、不思議。
三人の後姿を見て、私はなんだかおかしくなってしまって、くすりと笑った。
二階席に上がり、舞台を見た。
あと数日でオペラ鑑賞会が始まる。
その日が、大泥棒が出し抜かれてしまった日にならないことを祈るばかり。
だって、そうなってしまえばこの氷帝学園を舞台にペテンが行われたことになってしまう。それはかなりシャクに触る。
ステージを見下ろしてると、かすかな煙草の香りが近づく。
薄暗い中に溶け込む、ダークスーツの次元大介だ。
「心配そうだな、仔猫ちゃん」
「だから、仔猫ちゃんっていうのはやめて」
肘で小突いた。
「」
いきなり名を呼ぶものだから、驚いて彼を見上げる。
「ま、うるせぇ飼い猫が見張りにつけられたモンだって思ってたが、どうせアンタも、俺たちがダイヤに手を出さずにいるワケがねェって思ってただろうから、痛み分けだ」
そして、そんな事を言うのだ。
「……まあね」
私はさらりと答えた。
「じゃ、今は信じてんのか? 俺たちのこと」
次元はからかうように言う。私はまた笑ってしまった。
「泥棒のクセに、信じる、なんてクサい言葉を使うのね、次元大介」
彼は帽子のつばを持ち上げて私を見て、そしておかしそうに笑う。
「違ェねえ。確かにな」
「まあ、あなたたちはきっといい仕事するんだろうなって思ってるわ」
私がそう言うと、彼は人差し指を銃のように立ててステージを指した。
「当然さ。俺はこの位置からだって、フリッカのダイヤを撃ち抜けるくらいの腕を持ってる世界一のガンマンなんだぜ」
そして、そんな子供みたいな自慢をすることがまたおかしかった。
「知ってるわ。私だって諜報員だもの」
あとは幕開けを待つばかり。
Next