「免疫系の原因不明の病気だそうですね。手足がまず動かなくなり、徐々に体の自由が奪われます」
静かに恐ろしげな台詞を吐くのは、柳生くん。
そして、ここはテニス部の部室。
テニス部のレギュラー選手が集まって、幸村の病気のことで話し合っているのだ。
そして、なぜそんな場に私までいるのかというと、真田に『お前は幸村不在の間、幸村の花壇の世話をする義務があるのだから話し合いに参加していけ』と無理矢理連れて来られたから。
「ひどい場合は呼吸筋まで麻痺し、呼吸・会話・食事もままなりません。発症から2週間くらいがピークだそうです」
私は胸のあたりを押さえた。
聞いてるだけで息が苦しくなりそう。
「……で、今、幸村ってどんな風なの?」
柳生くんの話がいまひとつ実感できなくて、そんな幸村が想像つかなくて、思わず尋ねてしまった。
柳生くんは眼鏡のブリッジを指でいじりながら、静かに続けた。
「幸村くんはいわゆる急性増悪の状態となり呼吸をすること自体が難しくなってしまったようで、昨日救急に運び込まれ、人工呼吸器を装着しました。今は集中治療室にいます。おそらく一旦症状が落ち着いたら、薬物療法で様子を見ることとなるでしょう」
柳生くんは丁寧に話してくれるのだけど、ジンコウコキュウキとか、私にはよくわからない。わからないけど、とにかく幸村がとんでもなくとんでもないことになっているんだってことだけはわかった。
私が大きく重いため息をつくと、同じようなため息が部室のあちこちから漏れる。
とにかく、当分面会とかも無理そうだし、私たち中学生にできることは何もない。
昨日幸村が倒れた時に一緒にいたメンバーたちからのそんな報告が済むと、解散。テニス部の面々はトレーニングに、そして私は屋上庭園に向かった。
昨日、幸村と最後に会った屋上庭園。
私の鳩尾はまだなんだかズンズンと重いまま。
ホースを引っぱってきて水をやろうと私のブルーベリーの鉢の前に行って、ふとしゃがみこんだ。私の鉢に、ふかふかの新しい水苔が敷いてあった。昨日のあの水苔、幸村が敷いてくれたんだ。
私は大きなため息をつく。
幸村はどうして、こう、植物にだけフツーにいい奴なんだろうね、まったく。
私のブルーベリーや作物と、そして幸村のブルーベリーにクリスマスローズやハーブたちに散水した。
あーあ。
早く、ひょっこり戻って来ないかな。幸村。
そしたら、とりあえずあの時は逆ギレっぽく怒っちゃってごめんって、言おう。
*
*********
「幸村くんは、今は一般病棟に入って人工呼吸器も外れていますが、まだ皆でお見舞いに行くようなことは避けておいた方がいいでしょうね」
幸村が倒れてからおおよそ1週間後、幸村と同じクラスの柳生くんは、テニス部の皆を代表して時折病院にお見舞いに行っているようだった。授業の資料なんかを届ける用事があるし、それに家が病院だという彼は病気や治療のことにも詳しいから適役なのだろう。
「まだだいぶ苦しそう?」
部室に向かう途中の彼を捕まえて、私は幸村の様子を尋ねていた。
「急性期はすぎたようで、今は普通に歩いてしゃべってすごしていますよ。皆に心配をかけてすまない、と言っていました。ああ、
さん、あなたにもよろしくと言っていましたよ。花壇の世話を頼むと」
そっか、とりあえず花壇のことにまで心配が及ぶくらいに元気にはなってきてるんだ。私はちょっと安心する。
「まかせといてって言っといて。あ、そうだ柳生くん、今度病院に行くとき、お花持って行ってもらえる? 幸村が育ててた冬咲きの牡丹、早めにつぼみをつけたのがあるから、切り花にして飾るときれいだと思うんだ」
私が言うと、柳生くんは穏やかに、でも申し訳なさそうに微笑んだ。
「お気持ちはよくわかりますが、今はお花は控えておいた方がよいでしょう。今、幸村くんは病気の症状を抑えるために薬物療法を開始しています。ステロイド薬という少々きつい、免疫に働きかける薬を使っているので、副作用で体の感染を防ぐ機能が弱っているのですよ。ですから、植物など生物と接する事は極力避けるようにという医師からの指示が出ているのです」
私は目を丸くして柳生くんを見つめた。
「ああ、もちろん、一生というわけじゃないですよ。この薬物治療を終えて、免疫機能が元に戻るまでのしばらくの間だけです」
よっぽどびっくりした顔をしてたのだろうか。柳生くんがあわてて説明してくれた。
「そうなんだ。幸村、花とか好きだから、そんなのかわいそうだなってちょっとびっくりしちゃった」
「そうですよね。でも、ほんのちょっとの間の辛抱ですから」
柳生くんは優しく言ってくれる。うん、柳生くんは優しいなあ。
そんな柳生くんが部活に行くのを見送って、私はもくもくと水やり、剪定を続けた。
幾度、柳生くんから幸村の様子を聞いても、私にはどうも想像がつかなかった。私の頭の中にいる幸村は、いつも自信たっぷりでずけずけと物を言って、それでいてやけに穏やかで優しい顔をしながらもやっぱり意地悪な男の子。どんなにクールでいても、植物の世話にだけは誠実な男の子。
そんな子が、自分で呼吸もできなかったり、薬のせいで花にも触れなくなってるなんて。
幸村と言い合いをした日の夜、次の日にどんな顔で会おうかなんて考えてた。だって、次の日にまた会うのが当たり前だと思ってたから。
普通そうだよね。
中学の同級生なんて、毎日会うはずだもの。
次の日学校に来たら、いなくなってるなんて、ないはずだもの。
だけど、この年、結局幸村は学校に戻って来なかった。
お正月に和歌山のおばあちゃん家に行ってもらってきたみかんは、幸村に渡すことはなかった。
生ものがだめってことは、みかんもだめなんだよね。
家で、くだらない特番を見つつこたつでみかんを食べては、必死に入院中の幸村ってのを想像してみようとしたけど、やっぱりうまく想像できなかった。
*
*********
年が明けて、冬休みも終わり。
学校が始まった。
やっぱりまだ幸村は登校して来ない。
放課後、校庭の花壇の実験場で白菜を収穫しながら、私は釈然としない思いでいた。
「ちょっと、真田! あらためて考えたんだけど、どうして真田に野菜をお持ち帰りいただくために、私がこうやって労働しないといけないの! 自分で持って行ってよ!」
白菜の収穫は結構力がいるし、私が見事に結球させた白菜は重いのだ。
そんな風に私が一生懸命作業している後ろで、コンビニ袋を持ってるだけの真田って!
「いや、しかし他人の畑から勝手に作物を持ち去るのはよくないだろう」
しれっと言う真田。
「じゃあ、真田と柳には特別にバイオ部から許可の手形を出すから、もう要る時は勝手に持って行ってくれる?」
「そうか、わかった!」
そう言うと、真田は実験場にしゃがみこむ。
収穫していいのは、それとあれと、と指示して収穫の仕方を教えると、なかなかに真田は熱心に作業に取り組んだ。
おっ、これは結構いいんじゃないの、とついでに自分で家に持って帰る分も真田に収穫させた。真田、意外と使えるじゃない。
作業を終えて、少々『騙された』というような顔をしていないでもない真田は、それでも満足そうに白菜の入ったコンビニ袋を持ち上げる。
「そうそう、幸村、いつ退院してくるのかな」
私が何気ないように尋ねると、真田は白い息を吐きつつ、作業で汗ばんだ額をハンカチで拭って私を見る。
「柳生の話では……」
彼はそう切り出した。
そうか、まだ皆でお見舞いとか行けてないんだ……。
彼のその一言で、私はまずそれを察した。
「今は、ステロイドを使った薬物療法の3クール目だそうだ。これで症状が落ち着いたら一旦退院をするそうだが、学校に来れるかどうかはわからん」
借り物の言葉で話すのが落ち着かないようで、真田は小声で言った。
「そうなんだ……」
学校に来れるかどうかわかんないってことは、テニスも植物の世話も当分無理ってこと? そんな幸村、ますます想像できない。
「まだ、真田もお見舞い行けないんだ?」
真田は黒い帽子をぎゅぎゅっとかぶりなおすと、難しい顔をした。
「かなり副作用の強い薬らしくてな、おそらく幸村自身も、まだ皆と会う気分ではないだろうと、柳生が言っていた」
人に会いたくなるくらいの、薬の副作用って、どんなのだろう。
ほんの1ヶ月前までは毎日顔を会わせていた幸村が、今どんな風なのか想像ができない。
私はそれ以上言葉が出なかった。
真田はもう一度帽子をさわって、そのまま何も言わず白菜をぶらさげて部室に向かった。
花壇では、ご主人不在のクリスマスローズのつぼみが大きくふくらみはじめている。
明日の朝は霜が降りるっていう予報だ。
私はクリスマスローズにマルチを施した。
つぼみを霜でだめにしてしまったら、私は多分幸村に殺されるだろう。
*
**********
1月も終わりになった頃だった。
「幸村くんの薬物治療が一段落したようです。そろそろ、皆でお見舞いに行きませんか?」
昼休みに学食でばったり出会った紳士が私にそう言った。
「皆って?」
「テニス部の皆と、あなたですよ」
「あっ、私も?」
「あなたは幸村くんのバイオ仲間でしょう」
当たり前のように言う紳士。バイオ仲間って、それ、違うっての。
うん、行く行く、と返事をしかけて、はっと口をつぐんだ。
そういえば、私が最後に幸村と話したのって。
屋上庭園で、幸村がくれた水苔を放って駆け出したことを思い出した。
あの時、私が背を向けた後、幸村はどんな顔をしてたんだろう。
想像できない。
最近、幸村の顔が想像できない。
「ええと、とりあえずは遠慮しとく。テニス部の事で話さないといけないことたくさんあるだろうし、あんまり沢山で行って疲れさせちゃうといけないだろうしさ。今回は、皆だけで行ってきて」
私が言うと、紳士は少し意外そうな顔をして眼鏡のつるをいじった。
「そうですか。わかりました。今回は私たちだけで行くことにしますね」
「うん、とりあえず花壇は順調で、クリスマスローズもばっちりだって言っておいて」
「はい、わかりました」
紳士は礼儀正しく会釈をすると、学食を出て行った。
彼の背中を見送りながら、私は胸の奥がもやもやするのを感じる。
もしも、皆と一緒にお見舞いに行ったら。
きっと、何気なく幸村と会話をするだろう。もちろん、会話のネタに困ることなんてない。幸村の花壇について、報告して盛り上がることなんて沢山ある。
だけど、なんだかあの時のことをなかったことみたいに、そんな風に話していいのか、私はどうしても躊躇してしまう。
かといって、皆でいる時に『あの時さ、』なんていきなり切り出すのも気まずいし。
私は大きくため息をついた。
幸村ってば。
いたらいたで、私に何かとしょっちゅう命令したりひどい奴だ。
そして、こうやって不在にしていても、やっぱりじわりじわりと私にダメージを与える。
ほんと、ひどい奴。
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